2004年11月12日

メンタルと言うほどでもないが。

 言うほどでもないんだがまあ一応セクシャリティの話題なもので。

 私がまだ若い(否もう本当一般的な意味でですよ)所為か、Aセクシャルの説明をしてもしっくり来ない事があります。自分的にもね。「それって初恋が遅いだけじゃなくて?」と言われると、「う〜ん確かにそうなんだが……」と思ってしまうのです。
 女の子萌えもするし芸能人は男女関係無く好きな人も居るし。(この場合の好きはゴシック建築が好き、という種類の好きでしかない)人間自体が大っ嫌いだというのではありませんからね。
 寧ろ私は好きなほうじゃないかね。人間。(意外と思われるか妥当と思われるか判断つきかねる)
 まあ元々セクシャリティの決定なんて自己申告に過ぎないし、ゲイだと思い込んでるバイも居ればバイだと思い込んでるビアンも居るだろうしヘテロだと思い込んでるAセクだって居るかもしれん。
 でも誰がどう思おうと、「自分のセクシャリティは此れだ」と本人が確信していればそれはもう覆らない事実になるのであります。ビアンだあと自覚してるって事は女性に恋心を抱くんでしょうし、此れは別に間違った分類法じゃないですよね。セクシャリティは物質や数字的に表現できるものじゃないから。
 とすると、Aセクだってやっぱり自己申告に過ぎないわけですよ。でも、自分がそう思えばそうなるんです。それがセクシャリティです。
 と、ここまで話して置いていざ自分の身を振り返れば、嗚呼もうそれはそれは何の文句もつけようが無いほどに何処までも限りなくAセクです。Aセクなのです。
 大体初恋って思春期ですよね、一般的に。大人になってから「アレは恋なんかじゃない、ただの子供の憧れだった」と自覚するような事があったとしても、思春期真っ只中の頃には「恋だ」と確信出来るだけの感情を抱いていた事に間違いは無いでしょう。
 恋と自覚して無くても良い。何となく胸に引っかかるような、そういう淡い淡い感情だって良いです。相手が芸能人でも構わない。
 そういう何となく気になる、ひょっとして此れが恋かしらはたまた憧れなのかしらと言う、其れがある筈なんですよ普通は。思春期の頃に。まあ遅くても高校生くらいかなあ。
 其の感情に肉欲が伴おうと無かろうと、現実的だろうと夢想的だろうと、友達と一括りには出来ない特別な感情を抱いたのなら、それが初恋と呼んで良いと思う。
 芸能人まで幅を広めてみれば、いかがだろうか。そういう気持すら一切全く全然これっぽっちも抱いた事は無いよという人はかなり少ないんじゃないでしょうかね。
 それ以降誰の事も好きにならなかったとしても、そういう人たちには私は恋愛のきっかけは幾らでもあると思ってます。一度味わった感情を昇華させるのはゼロから始めるよりもずっと簡単なのですから。
 でも、再び己を振り返ってみると、私には一切全く全然これっぽっちも完璧に、無いんです。誰か一人に心ときめかせた事が。芸能人でも二次元でも「ああ、好きだなあ」としみじみ感じ入るようなそんな気持を抱いた事が無いのです。
 恋愛小説や映画、色んなコラム、エッセイによって恋愛感情がどういう感覚で、肉体と精神にどんな効果をもたらすのか、という事はまあ知識として、文字の記憶としては解ってます。
 でもそれは、人の胸を刺し貫いた感触を説明されているのと同じで、自分で小説を書くときに応用してリアルっぽく表現する事は出来ても、本当に掌に感触を浮かび上がらせる事は出来ないんです。
 私はAセクで恋愛はした事がないしこれからも出来ないけど、小説の上で恋の話は腐るほど書くでしょう。胡散臭い余韻をつけたりしてリアルさも追求する。でも、それだけです。
 というと、「恋をした事が無くて恋愛小説がかけるのか」と言う声も頂きますけど、だったらホラー作家は全員殺人鬼に追っかけられたり幽霊に殺されかけた経験があるのでしょうか。推理小説家は人を殺したり警察より先に事件解決した人じゃないとなれない?ファンタジー書くためには異世界に行った経験が無いといけないかしら。
 そんな事は無い。文字で表現出来る事は現実世界に縛られない。寧ろ現実世界でできない事こそリアルに追求するべきで、だからこそ文学は文学たりうる。
 嗚呼、話がそれました。
 私にとってはつまり恋愛と言うのは「人の身体を日本刀で貫いた時の感触」もしくは「誰かの首を自分の手でへし折った瞬間の気持ち」と同じなんです。
 本で読んで、其の状態がどんなものだかちょっとは解る。でも、それは自分にとって全くリアルではない。夢の世界よりももっと遠い。本の中にだけ存在するし、映画の中にだけ、ドラマの中にだけあるもの。
 初恋がまだなだけなんじゃないかと言う指摘は私の中では「リアル」ではないんです。「何時か誰かを殺す事があるかもしれない」と指摘されれば「勿論其の可能性は否定しない」と私は答えます。
 でも、論理的な説明は出来ないけど、絶対にそれをする事は無いだろう、と、心の中で思っています。人殺しと恋は、私の中で同列のものです。「現実味が無い」と言う意味でですよ?ちょっと経験してみたいけど、でも一生その機会は無いだろうなと確信できる数少ない事象の一つです。
 だから、セクシャリティが自己申告制だというのなら間違いなく、何処までも、墨に浸したティッシュみたいに一点の迷いも混じり気もなく、私はAセクなんです。恋を知らない人種なんですよ。
 論理的には説明できないけど絶対の自信を持って断言できる。此れは中々ない事です。多分。しかし世間一般の方から見れば恋愛感情は「タクシーの運転手にムカつく」程度のリアリティなのかもしれないし、「宝くじで小当たりする」ていどのリアリティなのかもしれないですね。
 「絶対に地球が滅んでもありえない」と言い切れる私の発言が中々納得していただけないのもそれは仕方が無いことです。もっと上手い説明の仕方は無いものかね。
 初恋がまだなだけ、と言われても不愉快ではないんですが其処で話が終わると自分の中でもやもやが残るんです。折角訊いてもらったのに的確な返答が出来ていない、初恋が一生来ない事を私は確信しているのに上手く説明できない。そう思うと何となくもやもやして。
 一言で説明できないだろうか、此れ。取り合えず思いっきり初恋が遅かった人のお話を聞ければ打開策が見付かるかもしれない。二十代後半とか三十代以降とかが初恋だった方、居ませんかねえ。お話が聞きたい。


posted by こがよしひさ at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | メンタル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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