2006年01月19日

懲りない女。

 何か自分でも本当、懲りないなあと思うんですけど、こういう事書いてるから煙たがられるんだって解っているんですけど、(こないだの管理人さんコワイみたいな)其れでもまたあえて書きましょう。


 ♪とかvとかwとか(笑)とか///とか。



 使った時点で其れはもう小説とは言わないで下さい。(はい、この時点で怪しい空気を感じたら先は読まないほうが良いですよ。アレレな事書いてるから!其れでも読む方はどうぞ。)




 頼むから。うっかりサイトデザインとかが可愛らしくて「凄いな〜」って感心しながら開いた小説に記号が使われているとガッツーンとテンション下がります。人にもよるのでしょうが私は其の段階でタブを閉じます。(ウィンドウを閉じますといった方が伝わるかな)
 日記とか、掲示板なら良いと思うんですよ。如何せん自分の感情をどれだけ解りやすく、或いはウケを狙って愉快に表現できるかがキモって部分もありますし。無味乾燥な文だとキツくなることもありますからね。
 でも、小説は違うと思うんですよ。
 何つーかな、小説って、態々記号使わなくても幾らでも表現のしようがあるじゃないですか。例えば『///』という記号で表せるニュアンスとか、表情とかって、どの程度のものですか?
 私なりに此れは「照れ」を表現しているのだと思うんですが、一言で照れといっても様々ありますよね。顔を真っ赤にして黙り込んでみたり、視線を泳がせたり、逆に目を見開いたまま固まるのもアリだと思う。怒ったみたいにその場から居なくなっても良いし、語気は強くなる事も有ればしどろもどろに弱くなることも有る。どもったり、声が出なかったり。
 文章なら作者が思い描いたキャラクタの表情、雰囲気、仕草、事細かに表現できる。でも、『///』たった此れだけの記号の中に一体どれだけの表現を託せますか? 此れで、どんな心の機微が、些細な空気が表現できますか。
 二次小説において相思相愛のキャラ同士が会話をする時に一々語尾に「v」をつける方が居ます。一個や二個じゃない。会話がある間中、ずーっと、延々。vが無くても他の記号がついてたりする。何でだ。何か付けなきゃいけない決まりなのか。
 以下に再現してみましょう。(勿論文章は私が適当に捏造したものですよ、パクってきたわけじゃないですよ)

A「おはようv」
B「あ♪、おはよv」
A「今日も良い天気だね〜v」
B「そうだねv」
A「天気が良いと学校行くのも楽しくなるv」
B「俺もたしかに学校は楽しいけど、Aに会えるからだよvvv」
A「や、ヤダ・・・///」

 っだー! コン畜生自分で書いててキーボード叩き壊したくなったわ……!!!!!!
 うう、寒いよう、心が寒いよう……。因みに三点リーダとかは故意に間違った形にしてあります。より解り易いかと思って(この無駄なこだわり)
 皆さんね、これね、「おいおい、こが。作ってんじゃねえよ。まさかこんな小説あるわけ無いだろうが」とか思わないで下さいね。まだマシなほうなんですからね、これ。酷いのになると本気で顔文字出てきますからね。エーン。・゚・(ノд`)・゚・。←こういうの。
 ウェブ小説は新しい表現形態だ、とは言え……。物事には色々とこう、限度っつうモンがあるよね。勿論私自身他人にどうこう言えるほどの文章力は持ち合わせていませんが、少なくとも現段階で顔文字だの記号だのを使わなければ読めないほど酷い小説を書いている自覚まではない。
 寧ろ使ったら悪くなるといっても良い程度の文は書いていると思う。自惚れと思われるかもしれないが、けれども上記の例のような駄文だけは書いていない、と思い込みたい。(半分強迫観念)
 だからこそ言うのだけれども、記号に頼って作る表現に、どんな豊かさを求めようというの? ただ「笑う」にしても呵呵大笑する、大笑いする、噴出す、微笑む、笑顔を作る、嘲笑する、冷笑する、爆笑する、唇を歪ませる、もありかな。
 語彙の大して無い私ですら文字でなら此れだけの単語を使うことが出来ます。同じ微笑む、でも「ほほえむ」と「微笑する」では印象が全く違う。
 では『(笑)』この記号からどんな表現が生まれますか。
 私に馴染みが無い所為かどうか、(笑)という記号から汲み取れるのは「ただ単に笑っているのだな」という事のみです。上でも書きましたけど///なんてもっと酷い。私は一応「照れ」という意味で読んでいますけど、実は違うのかもしれないし。
 この記号を使わずに少しなにか仕草で表してみたり、そういう事は出来ないのかな。小説を書く、ということは「言葉によって表現をする」という事だと思うんですよ。其れなのに言葉ではなくて、記号で表現しようとしたら、其れはもう言葉に対する冒涜ではないのか。小説というものに対する裏切りではないのか。書き手としての己の可能性を摘み取る行為ではないのか。そんな風にさえ思われます。
 大袈裟だと思われるかもしれませんけど、こういう記号小説がどんどん流行ったとしますよ。そうして記号で表現する事を日常化して、低年齢の子供達から「言葉」という最高の財産を奪って御覧なさい。
 彼らは自分の中にある本当はとても深く、複雑でかけがえの無い多くの感情や思考を、どのように認識すれば良いのでしょう?
 大人が色々解った上で敢えて手間を省き記号を使うのは良いかもしれません。スピードが命のコミュニケーションツールだって沢山ありますし、その場合の必然性は全く否定しません。つか、私も使う。
 ただ、其れを何処にでも持ち込むのはいかがなものか。時と場合、その場の状況、場所に応じてのルールというものが有るじゃあありませんか。
 小説にそのような表現を持ち込むのは、ごく普通の小説を書きこなせるようになってからにして欲しい。其の上で、実験的に書くのだったら、そして其れがきちんと「文学」と呼んでも差し支えない程度の形になっているのだったら私は其れを認めます。(偉そうな言い方になってしまった。私個人が認めるか認めないかだけの話ですよ)
 ただそんな事が出来るのは恐らく長年文筆業に習熟した一部の人だけだと思うのですが。

 感情や情景を幾らでも自由に表現できる。何の制約も受けず、囚われず、ただ世界を構築することが出来る。時に酷く美しい。言葉で、文字で表現するという事は人が人である証拠を残すといっても過言ではないと思うのです。
 思考は人間に許された特権の一つですけれど、其れを論理的に、誰にでも解るように表現して後世に残すことが出来るのは文字のおかげですから。それとも逆に数百年後の方々ならば///の正しい意味を文脈から微細に感じ取れるようになっているのだろうか。とてもそうは思えない。
 だから、せっかく言葉を使って、文字を使って作品を作るのならばどうぞ記号のみには頼らないで下さい。

 と、ブラウザを閉じた後で長々考えた、と言う話でした。でもこういうのメールとかで送ったら軽く荒らしとか中傷とかおせっかいとかウザイとか思われそうだよね。だからここで書いておきました。はースッキリした。
 はい、上記は全て私の独り言でした。御免なさい。
posted by こがよしひさ at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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