2006年01月26日

一寸嬉しい事。

 23日の記事でちょいと太平洋戦争について書きましたが、(一寸どころじゃないよ)暗いって言うか後味悪いっていうかあんまり読後感が爽快ではなかったので微妙に反省し、違う角度からスポットを浴びせたいと思いました。つか、そうします。
 日本がいかに自虐的かどうかとかはおいといて、一先ず他国の(某国は置いておきますよ)反応を見ようじゃないのという試み。
 特にアジアね。私が調べただけでも結構な量のエピソードとかが見付かったので本気で調べればやっぱり歴史観は変わると思う。

 簡単に行きます。先ずはパラオから。
 パラオの国旗↓
parao.gif
 パラオという国については各自調べていただくとして(ダイビングスポットとしても有名な美しい国だそうです)国旗を見て下さい。どっかで見たことありますね。
 これはまあ、一目で解りますが日本の国旗を元にしてつくられたそうです。日章旗ではなく月章旗。
 パラオは大戦前まではご多分に漏れず西洋の(何処だったか忘れた)植民地でした。其処に日本軍が来て、短い間でしたがパラオを統治しました。日本人は厳しかったという証言もありますが(当時はまだ勤勉と礼儀の国でしたからね)、現地で教育を行い、概ね仲良くやっていたようです。
 で、すったもんだがあって日本軍は居なくなったわけですが、暫く経ってから独立したパラオが「国旗を作りましょう」と国民から一般公募した結果、上の月章旗が採用されました。
 日本は日の丸ですが、パラオのは海に浮かぶまん丸の満月。美しい海を持つ国に相応しいと思うですよ。んで、何でちょっと中心からずれているのかというと、「まるっきり真似したんじゃ日本に失礼だと思ったから」だそうです。
 ら……ラブ!そんな事言ってくれる国があったなんて!始めてこの話を聞いたときは思わず視線が泳ぎました。何か、「恥ずかしいな」と思っちゃったのです。そんな風に思ってもらえるほど立派な国じゃないです、御免なさい御免なさい。
 今もパラオの方が胸に抱く日本の印象とか、憧れというものは、私達の国じゃないんだなって思う。六十年一寸前、まだプライドと威厳を持つ独立国だった日本を、愛してくれているんだろうなって。少しでも好意に相応しい国になれれば良いですね。

 あい次ぎ。インドネシア。
 実はインドネシアの独立宣言書は、日付が一寸変わって居ます。西暦で記されていません。何と、皇紀で記されているのです。皇紀とは、神武天皇即位の年を元年とした日本独自の表記です。
 なんだってインドネシアの独立宣言書に皇紀が使われているのか。それは、インドネシアの独立に際して日本軍の兵士が随分協力したからなのだそうです。
 有名な話としては、戦争に負けて引き上げていく日本軍に「これから独立の為に戦いたい。武器を譲ってくれないか」と現地の人が言った所軍はこう答えました。「其れは出来ない。私達には帰って来いと言う命令があったが、身一つで帰ればそれで良いってモンじゃなかろう。(まー銃弾一つとっても日本の金で手に入れたものですから当然ですね)しかし。」しかし、とその兵士は言ったと言います。
「差し上げるというわけには行かないが、盗まれてしまうんだったら仕方が無いよな」
 そこで半ば公認で大量の武器弾薬が持ち出され、インドネシアの独立戦争に使用されたらしい。です。日本に帰らず其の侭インドネシアで戦った日本兵も居たのだとか。で、独立を手伝ってくれた事は忘れませんって皇紀を使ってくれたんだそうです。
 他国の独立宣言書に使われるなんて名誉は滅多に体験できません。あわわわわ。此方も矢張り嬉しさよりは恥ずかしさ。

 はい続いてマレーシア。
 マレーシアでは日本軍が上陸した日をお祝いしちゃうんだそうです。祝っちゃうんですって。日本人は「太平洋戦争」とか「統治」とか聞くとすべからく恥じるべきである、みたいな印象持ってるかもしれませんがどっこい祝われちゃってますよ。
 マレーシアでも其の他のアジアと事情はさほど変わりません。要するに、其れまで西欧列強に植民地化され、ぎゅうぎゅうに搾取されていた彼らにとって日本軍の上陸は別に侵略でも何でもなく、寧ろ解放を齎す朗報だったのです。諸手を上げて迎え入れた、日本軍の姿を見て歓呼の声を上げた。ってゆーかむしろ一緒に戦った。という話もあったりする。
 戦後「戦時中はわが国が大変迷惑をかけた」という謝罪をした日本の政治家に対して首相が「何でそんな事を言うのでしょうか。日本無くしてこの国の独立は有りえなかったというのに」との答えを返してくれた事は割りと有名。

 他にも大抵のアジア諸国は似たようなお話を聞かせてくれます。つまり、「日本が居なかったらアジアは今でも西洋人たちに搾り取られる植民地であり続けただろう」ということ。

 何処で見たかは忘れましたがこういう台詞があります。
 「西洋人は私達に鉛筆を売ったがそれだけだった。私たちは貧しかった。日本がやって来た。日本人は鉛筆の作り方を教えてくれた。私たちは鉛筆を売ることが出来るようになった」

 端的だと思う。要するにアジアの多くの国ではそういう風にあの戦争を捉えている。因みにフランスの教科書には「日本がアジアを開放した」と書かれているそうです。マジデ!?

 今回はちょっと良い話を集めてみました。皆さんが歴史を調べてくれるきっかけになればなあと思います。日本人は日本を愛していると言うとちょっと変な目で見られがちです。でも、日本にも誇って良い所は沢山有るし、変なところで卑屈になるよりは自分が住んでいる国を愛する事の方が健全だと思うのです。
 思想がどうとかじゃなくて、私は桜の花が美しいと思うし、日本の四季折々の風景を美しいと思うし、イギリス女王の上座に座りローマ法王と肩を並べる(肩書きだけで言うなら法王よりも上)天皇を誇りに思うし、芸妓さんは綺麗だと思うし、蒔絵の櫛や日本刀を芸術品だと思うし、外国から感謝されるような事をした数十年前の日本人を敬っています。
 其の戦争が良かったか悪かったかは勿論主観によるわけですが、少なくとも卑下し、恥じる事は無い筈なんです。
 桜が好きだ、美しいという時、こんな綺麗な花が国花で嬉しいと思うとき、何処に軍国主義があるでしょう。単純な感嘆の思いすらも「軍国主義!」という呪文で押しつぶすならば其の事こそが思想の自由を脅かす重大な人権無視であると思います。

 とか何とか難しいこと言っている気がするけれども簡単に言えば「もうちっと日本を好きになっても良いじゃん。外国行った時私は日本から来ましたって胸を張って言おうよ」ということです。まー実際私も中々言えないけれども。
 主義がどうのじゃなくて、「私はこの国を愛しています」なんて、中々真顔じゃ言えないよね。照れくさくってさ。
 其の点ダーリンハニーの国は国に対してもアイラブユーをどうどうといえる。ちょっと見習った方が良いのかもしれない。(でもでも奥ゆかしさが日本的美徳とも思うわけですよ。アンビバレンス)


posted by こがよしひさ at 22:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
学校では教えてもらってないです。
なんでなんでしょうね?
不思議です。
Posted by くるす at 2010年05月17日 05:06
不徳の、致す限りで。
と、述懐しておきますか。
偏らず、自分をもって。
平等に、愛することをしる。
反論は容易く、正論は論である限り存在しえない。
そういう話なのでありましょうさ。
Posted by at 2010年12月01日 19:49
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