2005年01月10日

盗用・転載について思う事

 犬系の方はもうかなりご存知である事と思いますが、リンクすら出来せん緊張しすぎて、という方が無断盗用の被害にあわれました(今はもう盗用者との話し合いも進み、事後処理の段階に移っています)。プロとして活躍なさっている方ですので、大変難しい問題も絡み、ご心痛も計り知れないほどであったかと思われます。
 この手の事件は割りと頻繁にネット上で見かけますが、盗用した人の内心まで私達に知らせてくれる事は先ず有りません。雲隠れしてしまったりするからです。
 ですが、今回は盗用した本人の心情を少しだけ、垣間見る事が出来ました。顛末サイトに、被害者と加害者両名のメールのやり取りがアップされています。(今はマウス沈没の為リンクはまた後ほど)言葉少なではありますが、盗用する人の心の内側を知ることが出来、その部分は良かったと思います。(絶対にあってはならない事なんですけども)

 著作権は親告罪である、よって、被害者が告発しなければ裁けない。その辺に胡坐をかいているのがこの、二次創作、同人というやつです。幾らなんでもコミケに集うあの数を一々訴えていたら何十年掛かるかわかりません。
 でも、本当はイケナイ事です。しかしながら同人を土壌にして素晴らしい書き手へと昇華する人も確かに存在する。書き手で稼ぐ出版社の中にはその為に同人を黙認している所もあります。(集英社とかは多分そうですね、アンソロジーの発行を許している辺り。小学館のアンソロジーが書店に並んでいるのは見た事無いでしょう?)
 あくまで黙認であって、「まあ見い事にしてあげても良いけどね」程度ではあると思うのですが。
 ただ、これも同人をやってる本人が自分で考えて自分で作品を作った場合のみです。ブログサイトや携帯サイトの中にはコミックスの表紙などを画像加工ソフトで加工して、展示したり配布したりしている所がありますが、それは幾ら何でも……。
 勿論作家さんの中にはそういうサイトも自力でやってる同人サイトもどっちも消滅してくれと思ってる人だって絶対いらっしゃると思います。其れは凄く解っているんです。私の場合このサイトで扱っているジャンル、両方とも同人には否定的ですので。
 それでも私は「書く」「描く」事の楽しさを知ってしまいました。あるキャラのあるエピソードを読んで、これはこういう場面だったのだろうなと絵にする、またはこのキャラがこういう事をしてくれたら面白そう、と小説を書くのはどう表現して良いのか解りませんが、「衝動」のようなものです。
 好きを表現する為にとった手段が同人活動だったと言う事であって、嗚呼でも詭弁に過ぎないのはわかってはいるのです。先日のエチャで「でも平たく言えばキャラクタと世界観をパクっているんですよね」というのは動かしようの無い事実で、真実で、許されないかもしれないけどどうしても抑えられなくて……。
 無断盗用と同人と、同じなんじゃないの?と言われると本当に返す言葉がありません。でも、感情的にはやっぱり、「違う」と言いたい。前置き長いね相変わらず。
 自分で、線を引く。色を塗る。構図も考えるしソフトでかける効果も考える。手抜き背景になる事が私の場合は多いわけですが、スキャンするまでに屠った沢山の下書きだってある。其れなりに努力しているんです。ええ、キャラと世界観はパクってますけどね。其処だけは他人の力を借りているのですけれども、でも、髪の線を描いたのは私、瞳に色を塗ったのは私、頬に赤味を加えたのも私です。
 何度描いても上手く行かなくて半分泣きそうになるのも私だし、パソコンの前で眼精疲労と戦うのも私です。
 その、努力した部分と言うのはね、例え同人であっても損なわれる事は無いと思いたいのですよ。
 一番最初の所からオリジナルで魅力的なキャラや世界が作れれば一番なんでしょうけど、でもオリジナルと同人はやっぱり違っていて。
 違っているけど、それでも句読点の位置や、単語の選び方に悩んで文章を作る苦労は同じもので、だから私はその「努力」だけは損なわれないと思っているのかもしれない。
 でも、盗用って言うのは、そういう努力すら無しに、全てを偽る事だと思うのです。偽る相手が他人なのか自分なのか解りませんが、間違いなく「偽り」であると思う。其処には、「損なわれる事の無い努力」が存在しないと思う。それは、同人をやっている私の勝手な意見なのかもしれませんが。
 私の過去の日記、このブログ内に入っている日記を読んでいただければ、私がどんなに自分に自信が無いか、この程度の力量(画力筆力)しかない事を口惜しく思い、半分絶望すらしながらそれでも十年後くらいには見られるようになっているかもしれないと一縷の希望を持って絵や小説絵を作っているかが解っていただけると思います。
 パソコンやテーブルの前で本気で泣きそうになる事だってあります。本当です。本気で自分の技量の無さを嘆き、もう一生筆は取らないキーは叩かないと誓う事だってあります。(まあ二日もすれば書くんだが)
 上手になりたいという気持ちは創作をする人なら当たり前に持っている気持ちだと思いますし、気持ちに技量が追いつかなければ私みたいに半分絶望しながら頑張っていると思います。
 こんなに苦しいんだから、ああもういっそ本当に上手い人の絵や小説を攫ってきて自分のものとして公開できたらそりゃ楽だと思いますよ。気持ちはね、本当に解ります。やりたいよ、そういう事。今の自分が絶対に辿りつけない高みに居る人の能力をさも自分の物であるかのように吹聴したいよ。
 自分が描いた本当の作品に寄せられるよりも多くの賛辞が山と聞けるだろうさ。
 でもね、それじゃあ、「褒められる悦び」は味わえても、「作る悦び」は味わえないのですよ。いいえ、褒められる悦びだって味わえないかもしれない。だって自分は知ってますもの、その絵を描いたの自分じゃないって。
 上述の通り泣きそうになりつつ(本当に泣いてるかもね)絶望を抱えて、それでも何で私が色々描いてるのかっていえばそりゃ、描かずには居られないからですよ。絵でも文でも、自分の中に浮かんだものを外に出さないと腐ってしまうんです色々と。壊れてしまうかもしれない。
 それに、沢山の辛い事の中にほんの少しの、宝石のような楽しさがある。小説を書いているときに、ごくごく稀にですが「嗚呼、私はこの文章を書きたかったのだ、この場面を、この単語で、この言葉達でこのように表現したかったのだ!」と雷に打たれたように思えることがあるんです。
 其れは、他人が見ても絶対に解らないような何の変哲も無い文章でしょう。特に優れていると言う事も無く、別段感動的なわけでも無い。
 でも、私だけには解るんです。この場面にはこの文章以外入る事はあり得ない、と。その悦びは何物にも代え難い。絵でも有るんですよ、こう、デッサンは相変わらず駄目駄目だけど妙に憎めないような一枚っていうのが。こういう悦びがあるからこそ、どんなに自分の未熟さ下手さに打ちのめされ、他人からの冷酷な意見に晒されても描く事をやめないのです。
 盗用する事に慣れて自分で描く努力が出来なくなったら、この悦びは永久に味わえ無い。それはひょっとすると罰かもしれません。他人の努力を盗んだ事に対する。
 だからまあ、盗用はいけないことですよねって当たり前の結論なんですが。ちょっと創作活動について考えさせられてもので……。ウチのサイトに出してるものにはクレジット入れてませんし、どっちかと言うと配布物なんかコピーレフト(著作権込でフリーであるという事。コピーレフトが宣言されたものはそれを手に入れたひともコピーライトを主張する事は出来ない、らしい)な勢いだし、私自身ゆるゆるな人ではあるのですが、ね……。
 取り合えず頑張って、努力して、泣きたくなる回数を出来るだけ減らして、兎に角上達出来たら良いな、って最近はそう思ってます。でももう今日既に泣きたくなりました。小説全然進まない。絵も描いても描いても気に入らない。泣きたい……
posted by こがよしひさ at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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