2005年02月05日

病気に逃げるという事。

 鬱病という病気に限らず精神的な病(または内科の病気であっても)というのは、他人から見て症状が解りません。身体がだるい、気分が落ち込む、自己嫌悪が酷い、やる気が起きない、感情の起伏が激しい。
 このような症状その他は程度の差こそあれ、別に極々健康な精神状態の人にも有る事です。休日明け、仕事行きたくないなー、昨日遊びすぎたから身体だるいし。そういう事って普通ですよね。仕事で失敗して怒られる、自分は何て駄目な奴なんだろうとか、この仕事むいて無いんじゃないだろうかとか、誰だって思いますよね。
 だから、鬱病の人が自分の病気を説明する時にそういう症状を訴えても理解が得られにくいと思います。「そんなの誰だってある事じゃん。逃げてるだけじゃないの?」
 そして、鬱病の人自身、自分の事をそう思っています。「皆が出来ている事が出来ていない、自分は怠けているだけなんじゃないだろうか」
 でも、自己嫌悪の余り自殺に走ったら、身体のだるさのせいで布団から起きられなくなったら、気分が落ち込んだせいでリストカットをしてしまったら?
 其処まで行けば自分も周りも「ちょっと普通じゃないな」(いや自殺しちゃったら自分は思えないけどさ)と解る。ただ、其処まで追い込まれてしまったら治療といっても一筋縄じゃ行きませんよ。
 その人が其処まで追い込まれた背景には自分自身に対する不信感や、周囲の人との関係や、色んな要因が有ると思うのです。一番最初に躓いた時気が付いていれば、治療はある程度スムーズであったかもしれない。
 でも、死を本気で考えるまでになってしまった、家から出る事が出来ないほどに疲れてしまった、そういう人を立て直すのは大変です。本人も、周囲も。
 身体の病気や怪我だって、早期発見早期治療が肝要。心だって同じですよね。でも心の場合は実際医者から見ても判断が難しい事がありますから、(身体の病気はレントゲンだの何だので視覚で確認できますし)其れがとても難しい。
 一番問題なのは、周囲だけじゃなく自分ですら、「意志が弱いだけ」と思いかねないということ。それで自分を責めたりしたら余計酷くなる。で、もっと責める。悪循環。
 でも、一度そういうのを経験して自分が病気だという認識を持った後だって、そういう葛藤は幾らでも湧いてきます。人によっては本当に病気である事に甘えるかもしれない。
 頑張れば出来るのに「欝だし仕方ないんだ」と投げ出す事と、本当に頑張っても無理なのに「病気に逃げちゃいけない」と頑張る事の、どちらがより良いかなんて解りません。二つの境界が何処にあるのかを判断する事すら難しいです。
 だから何だといわれるととっても困るのですが、えーと、だからね?取り合えず病院いっとけって事ですよ。
 薬で症状を改善できる事も多いのですし。それに、ここ最近の私の事なんですけど。仕事でかなり落ち込んでいました。ぶっちゃけ本気で辞めようかなと思ってました。バイト探してましたよ。でも、本音を言えば辛い事があっても好きな仕事です。出来れば辞めたくなかった。
 それでも新しいバイトを探していた理由といえば、「好きな気持ちだけじゃどうしようもない位私は向いていないんだ」「このままだらだら続けていたらきっと周りの人にも迷惑」「幾らやってもきっと役に立つようにはなれないだろうな」そんな風に思っていたから。
 でも数日前の日記で書いたように、ある日ふと思ったんです。「この気分の落ち込み方、そして感情の不安定、欝の症状が強いんじゃないだろうか」実際思い切り泣いたと思った次の日にも継続して涙が出たり、自傷癖がぶり返す兆候がありました。(唇を噛み締めたり掌に爪を立てて握り締めたり)
 それで、「欝なんだったら頑張れる」そう思ったのですよね。この症状が欝なのだったら、薬で改善する事を私は知っていました。だから、仕事に対する色んな自己嫌悪や悲しみや、そういうものが薬で治るなら、もう少し頑張って仕事を続けられると思ったんです。バイト雑誌は捨てたさ。
 鬱病という病名で安心するっていうのは「逃げ」と思われる事も勿論有るんですが、中にはこういうこともあるよ、って。言いたくてですね。仕事に躓くとか、世の中には多いと思うんです。でも、そういう諸々を一度全部病気の所為にしてみて、薬に手伝ってもらって、「本当の自分はもう少しやれるはず」って、やる気を充電するのもアリじゃないかなって思うわけです。
 勿論周囲が其れを押し付けたら逆効果ですよ。でも、自分でそういう風に思うことに関しては自由だし。病気の所為にするって、「欝だから出来なくてもしょうがない」ということなんですけど、それにしたって悪い事ばかりじゃないというのは覚えておいて良い事かなあと思うです。
 本当に辛い時、それで会社を休んでしまった時もあまり自分を責めすぎない為に「病気なんだから」って思う事は必要ですよね。兎に角自分を責めると病気悪化すると思うし。周りの人も、「病気だから」と認識してくれれば一番良いかなあ。本当に病気なんだし。

 だらだら書き連ねましたがだからどうだということは無く、うーん、同じように落ち込んでいる人が居たとして、早まった行動を取る前に(辞表を出すとかさ)ちょっとだけ考え方を変える事も有効じゃないかな、と思ったもので。
 継続は力なりって言うしさー。もうちょっとだけ頑張ってみようと私は思いましたとさ。


posted by こがよしひさ at 11:08| Comment(1) | TrackBack(0) | メンタル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
脳、内蔵の疾患をなめない様に。

体が異常な事態に陥ってるのに「正常で適切な判断」を下す事は、聖徳太子にも出来ない芸当ですよ。

優れた判断、決断力は「心身における健康」がもたらされるものです。

第一、それで人に何か言われてもその人が、どの位状況を把握してるか、精神的にプレッシャーがかかってるか
等の度合いに因るので、「いちいち気にしない」事です

じっとしてるのが嫌なら、自分の心身の負担にならなくて、今の自分が出来る事で頑張るしかないでしょ?

それでも気になるなら
『自分の人生は誰の物?』か問い直すべきでしょう
Posted by こころ at 2009年07月02日 01:39
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