2005年05月05日

ほとぼりが冷めた頃に。

 反日デモがどうのこうのと騒がれていた時期からちょいと外して感想なり何なりを書く。其れが私のやり方。いや絵日記の方でも言ったけどね、だからさ、問題というか話題がある程度旬で其れに注目している人が多い時に下らない意見を書いて「またあそこの管理人は…」とか思われるのは厭だな、と。
 それだったらちょっと外した時期に書いて「今頃何書いてるの」とスルーして欲しいわけですよ。おっと最初から手の内を明かしてしまったぜ。まーこのカテゴリの記事はぶっちゃけ意見でも何でもないまとまりのない思考で御座いますので。其処から何か産まれるかもしれないし、何も生まれないかも知れない。

 反日デモのニュースを見ていると、若い人達が楽しんでやっているようだ、という印象を受けましたね。本当なのかしら?取り敢えず集団になって何かを侮辱したり傷付けたりするのは楽しいことなんだろうな、というのは理解できる。
 正義は我にありという錯覚を覚えるのも気分が良いだろう。
 ただ私が何かを見るときに重要視する要素の中には「品」があって、今回のデモには其れが無かったな、と思う。真剣な訴えかけをするのにへらへらした笑顔は要らないし、「楽しさ」も必要ない。
 「楽しい」と思って大勢で誰かを、または何かを攻撃するのは品が無い事だと思う。今回は石やら火炎瓶やらの攻撃性の高いものは使われなかったと聞くが其れも勘繰れば「お遊びの範疇を超えたら白けるから」という姑息な考えが見える気がする。勘繰ってるだけですが。
 文句があるなら(いやあるからデモしてんでしょうが)言葉で表現すれば良いと思う。何かを叫びながら通りを行進するだけだって真剣にやっていれば何かは伝わるし、野蛮な行為に及ばずとも効果はある。
 中国人の乗った日本車を破壊する事の何処に主張や信念があるのか理解出来ない。ただひたすら「野蛮」で「粗野」であると思うだけだ。
 さらに言えば面白半分の民衆が通りにある建物なり何なりを破壊するのはナチスの水晶の夜を髣髴とさせる。いえいえ、あくまで個人的な印象ですがね。
 其れと共に日本の中国大使館だのに嫌がらせをしたという輩にも同じような感想を抱きます。すなわち「品が無いことをするなぁ」と。相手の行動を咎める時自分が同じレヴェルに落ちては意味が無い。

 所でアメリカで原爆の資料館だか何だかができて(ずいぶん前からあったのか?)きのこ雲をあしらったグッズが販売されていたり核実験の映像を見られたりするらしいですが、その時に感じたもやもやが中国の人が日本の歴史問題を考える時に抱く感情なのだろうな、と思った。
 十歳くらいの男の子が「原爆格好良い」とコメントしていたが、彼を日本の長崎と広島の原爆資料館に連れて行きたいと思った。こういうものを使っていた人達、これを着ていた人達が殺されたんだよ、川には何百という死体が浮かんだはずなんだよ、って。
 核が外交上、または物理的軍事上安全のために役に立つと同資料館のスタッフが言っていたけどやっぱりもやもやが残ります。少なくとも小学生に変な誤解だのイメージだのを植え付けないように、将来彼らが公平に色々判断できるように、原爆が奪った日本の町の事をきちんと紹介してほしい。
 中国の人達も日本人に対しては同じように思ってるんでしょうね。世界共通の教科書でも作れば宜しいと思うのだが。どうだろ。
 南京大虐殺だのパールハーバーだの原爆だの、きっと有意義な教科書になることだろうに。いや、嫌味ではなく純粋にね。大人になってから自分で調べないと本当の姿が見えないなんて、性教育のほうがよっぽど進んでる。どうして国が違うといがみ合うことになるのか、子供のうちから考えさせるべきだと思うんだが。

 由無しごとでした。
posted by こがよしひさ at 14:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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