2006年04月26日

一日あいちゃったなあ。

 昨日日記が書けなかったので一日空いちゃいましたなあ。ちょっと気になる。カレンダーの所。

 昨日はいい加減疲れが溜まっていたのにダディにろくでもないことを言われてとうとうブチ切れました。十年以上もずうっと何も言えなかったから、十年越しの一声だった。ああ、疲れた。

 普段私はネット上では言いたい放題ですし、心の中では思いたい放題思ってます。でも、それを表に出すのはなるべく控えようとしているんですよ、相手が誰かに関わらず。だからカチンと来ることを言われても笑っているし、仕事が忙しくて気が立っていても笑っています。
 何を言われても先ず「ああ自分の此処が悪かったからこんな風に言われているんだな」と考えるから凹みはしても怒りません。何でもかんでも最初にする事は自己否定だったんだよ。
 でも、ここ半月位は久々に自分でも「ああ私頑張ってる、これが限界」って感じで働いてたんです。仕事大嫌いな人間がお昼の三十分を除いては休憩も取らないで、朝から晩までさ。残業しないで帰る日なんか一日もない。
 勿論それは私なりの頑張りだから他の人から見ればまだまだ全然なのかもしれないけど。でも、私の精一杯だったんですよ本当に。
 だから今回は自己否定しなくて済んだ。「ああ、こんな事言われるのも仕方ないかな」って思わなかった。
 「私はもう頑張ってるじゃないか!」って、たった一言だけど言えて良かったです。頑張るって大切な事だったんだねえ。たくさん頑張ったら、自分を庇う事が出来るんだ。知らなかったよ。
 とすると以前は頑張りが足りてなかったんだろうかね。だから自分を庇ってやることが出来なかったんだろうか……。
 まあいいや。
 これからも地道に前進しますよ。

 でもちょっと疲れているのは事実なのでたまには癒されないとな。身体がもちませんわ実際。絵も文も描く気力が無いもんなあ。ヤバイヤバイ。


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2006年03月01日

病院めも。

 落ち着いたので昨日の日記は削除いたしました。

 今日も会社を休んで病院に行きました。動けるようになったのでかなり良くなっています。先生は「随分急激に悪化したねえ」と驚いていましたが、色々とお話して薬は前回と同じ。
 平日の午前中、しかも雨だったお陰かかなりたっぷり時間をとって診察してもらえました。一時間近かったと思う。初診時より長いよ。リスかとか突っ込んだ事も話して、結局「神経が細すぎる」らしい、です。
 リスカは私の場合第三者に見せるとか、そういう意図は無いので「純粋に防御行動だね」との事。以前のブログに書いたとおり、過負荷のストレスを逃がす為の行動という解釈が一番みたい。これについては、もっと他のストレス解消法を見つけなさいねと言われました。仰る通り。
 動けなくなっちゃったのもやっぱ神経が細いからだと。常にギリギリで自分を支えているのでちょっとした負担で限界に来てしまう。これは欝とかじゃなくて性格の問題なので地道に改善していくしかないそうです。長い道程だあ。
 以下覚えているだけ引用。
「貴方の場合、神経(精神と言って良いと思います)がとても弱い。普通の人よりも自分で居ようとする事にエネルギーを使っていて、心に負担がかかってしまっている。普通の状態でそれだから、他から負荷がかかってしまった時にそれに対応しきれない。その対応しきれない部分が欝の症状となって出ている。だから先ずは、もっと心を強くしないといけない。それは薬ではどうしようもない」
 沢山話したけど纏めるとこんなかんじ。
 私が私で要る為に沢山のエネルギーを必要としている、というのはピンときません。他の人がどうやってその人を保っているのかを知らないわけだし、知ることも不可能だから。自分を保つ為にエネルギーが必要な状態って、どんなだろう……。
 んで一応対処法として言われた事。
「自己評価が低すぎる。欝の人は大抵そうだけど、自己評価を上げる事から始めなくちゃいけない。今の貴方は他人に評価されなくては自分の価値を認められない。しかし貴方は今誰にも評価してもらえない環境にいる。だから自分の価値が下がってしまう。先ずは、自分で自分の価値を認められるように努力して下さい」
 自己評価が低いのはありますね、きっと。どうせ私なんかの思考。誰かに評価してもらわなくては自分を認められない。って、情けないですね。良さそうな本を教えてもらってので捜して読んでみます。自己評価を上げてみる実験。絵を一枚描く、小説を一本書き上げるごとに頑張ったね自分、と言ってみる。(そのためには先ず書き始めなくてはいけないという試練)

 今日明日父が出張で居ないのでのーんびり羽根伸ばします。二日間で出来るだけ元気になろう。そんで父に何か言われても動じないコンディションを作っておこう。今日は診察というよりカウンセリングみたいな感じだったからちょと元気が出た。話すのってやっぱ大事ですね。
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2006年02月15日

行ってきました。

 こんばんは、ネットの欝診断をすると「入院が必要なレベルです」とかさらっと言われるこがです。今日も元気! 病院行ってきました。仕事が暇だったので午前中とか休んで良いといわれ、これ幸いと駆け出したのです。
 取りあえず行く病院を選べる環境ではないので感想は述べません。(述べてるようなもんだなあ)初診の人にいきなり二週間分もお薬出しちゃうのは再来週までくんなって事なのか何なのか悩む所ですね。
 ルボックスとデパスとリスミーを頂いてきました。しかし毎日毎日眠気と戦ってるのにリスミーは必要ないような……。それとも眠りの質を良くする、という事だろうか。
 デパスは最初「パルギン」と言ったら「何其の薬」と返されちょっとドキドキしました。「あれ? 名前間違って覚えちゃった」みたいな。
 結局リタリンが欲しいとかは言えなくて、心の中で思うだけにしました。アッパー系の気力が湧くような薬ないですか。
 でも「成る程なあ」って思うことも言ってもらいました。

 心が弱っているから色んな症状が出るけど、それらを全て欝の所為には出来ない。実際に欝で脳の働きが悪くなっている部分には薬は効くけど、精神的なものには薬だけではどうしようもない。先ずは問題の原因がなんなのかを探す事から始めるべき。

 大体上のようなことです。確かになあって思った。当たり前の事なんですが、でもやっぱ「薬貰って何とかならないかな」って思ってる部分も結構あったので。
 次は土曜日になっちゃうだろうな。混んでるから厭なんだけど。

 暫く服薬を再開して様子見です。落ち着くと良いな〜。
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2006年02月11日

がっくり。

 病院行ってきたんですが今日祝日だって知らなくて(本気で知りませんでしたよ)骨折り損。患者さんは居たのですけれど初診はまた別の日にして下さいと。アイター。車で四十分以上かかったのでそのまま帰るのが悔しくてTUTAYA行きました。
 ベートーベンの月光とラヴェルのボレロ借りました。この二枚は本当は持っていたんですが例によって例の如く紛失しちゃったんですよね。MDに落としました。ボレロは兎も角月光は聴きたくてたまらなかったので助かった。
 あとスーパーでココア購入。本当はもっと早めに買いたかったんですけど、まあでもまだ寒いから良いか。寒い時にあったかココア飲むと落ち着きますよね。

 所で最近調子が悪い悪いと言っていますが、では具体的にどんな風に悪いのかと。悪いっつーか何つーか、普通の人からすると「それは、具合が悪いせいなんですか?」と言われそうな事なんですが。
 久しぶりだなあ、メンタル記事書くの。(いやカテゴリ分けちゃんとして、って意味ですが)

1.動きが鈍い。
 鈍いというのはですね、まあのろのろしている、と言うのもあるんですけどぼーっとしちゃう。何かをするにも作業の途中で「あれ? 今私何してたんだっけ?」となってしまう。一つの作業にかかる時間が凄く長くなる。そして集中する事が出来ない。すぐに意識がぶっ飛んでしまうので手が止まったりする。
 其の割に単純なパソコンゲームは数時間平気でやったりします。(数時間もやっている意識は無いんですけど時計見ると数時間経ってる)
 微動だにせずパソコンに向かう様を自分で想像してみると病的だなと思う。コレについてはまあ性格なのかも知らんが。

2.判断力の欠如
 何かをしている時、明らかに「それはおかしいでしょ」って行動をとっているんだけど指摘されるまで気付かない。
 例えば、夕飯用にお惣菜買ってきます。おっきいとんかつとかです。レンジでチンして、お皿出して、其の侭載せて、出します。おかしいです。普通は食べやすいように切りますよね。
 でも、「切らないと食べにくい」という所まで考えが及ばないのです。調子の良い時はちゃんと包丁入れるんですけど、何でか忘れちゃうんだよなあ。

3.無気力
 コレが一番辛い。朝起きる所から始まって、夜寝床に入るまで、ずうっと気を張ってないといけないということなんですもの。普通なら洗い物がたまっているのを見れば「あ、やろうかな」ってなる。体がさっと動く。其処には特別なやる気とか気力とか必要ない。
 でも今の私は違うのですよ。「洗い物たまってんな」と思う。流し見る。ちょっと思考停止。「やらないといけないかあ」と思う。身体動かない。だるい。動きたくない。「でもやらないと……」溜息。「やるぞ……」自分に言い聞かせる。気力出す。立ち上がる。流しの前に行ってまた「やるぞ」と気力振り絞る。洗い物開始。
 この何段階ものプロセスの間中「洗い物しなくちゃ」という気力を出し続けなくてはならない。つ、辛い……。誰でもそうだとは思うんですけど、ちょっとそれが極端というか。朝起きてから寝るまで一事が万事ですからね。それは、疲れる。
 多分気力が尽きたら寝床から動けなくなるんだろうなあと思う。怖い。
 怖いといえば、上の行動を起すに当たって私の中にある原動力は気力と「恐怖」ですね。「洗い物しなかったらまた父に何か言われるんだろうな」という恐怖。それが衝動的に私を駆り立てたりする。半分以上恐怖によって動いているのかもしれない。
 精神衛生上宜しくないとは自分でも思う。無駄な緊張するから余計体力使うしな。

4.常に眠い
 何をしていても眠い。ボーっとしてる。幾らでも眠れる。最近弟の弁当作りも無いので朝はギリギリまで寝ていられるんですけど、夜九時ごろに眠って朝七時半に起きても、やっぱり一日中眠い。寝て無くても眠いが寝てても眠い。
 むしろ、寝ていなくても寝ていても身体の調子変わらない。じゃあ寝ない方が得なんじゃなかろうか、とか思って異様な夜更かしをしたりする。駄目だ。
 深夜アニメ見たいんですけどアレやってる時間は私的に熟睡タイムなので切ない。サヴァイヴ面白いと思う。そしてサヴァイヴ位ならギリ見られる時間だ。

 と、以上の事を踏まえてお医者さんに行きたかったのであるが……。月曜日行きたいけどそしたら父に言って会社抜け出さないといけないし(遅刻とか)したらまた文句言われるんだろうなぁ……。土曜日も休めない日が多いからちゃんと行けるのいつになるだろう。
 弟的には「もう良いから父に言って会社遅刻したら良いじゃん」との事何だそうですが。取りあえず機嫌良さそうな日を見て何とか……。大丈夫かな。(あー厭な汗が)

 リタリンが欲しい、といってみる。無理だろうから呟くだけにしておく。
posted by こがよしひさ at 20:56| Comment(0) | TrackBack(0) | メンタル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月05日

病気に逃げるという事。

 鬱病という病気に限らず精神的な病(または内科の病気であっても)というのは、他人から見て症状が解りません。身体がだるい、気分が落ち込む、自己嫌悪が酷い、やる気が起きない、感情の起伏が激しい。
 このような症状その他は程度の差こそあれ、別に極々健康な精神状態の人にも有る事です。休日明け、仕事行きたくないなー、昨日遊びすぎたから身体だるいし。そういう事って普通ですよね。仕事で失敗して怒られる、自分は何て駄目な奴なんだろうとか、この仕事むいて無いんじゃないだろうかとか、誰だって思いますよね。
 だから、鬱病の人が自分の病気を説明する時にそういう症状を訴えても理解が得られにくいと思います。「そんなの誰だってある事じゃん。逃げてるだけじゃないの?」
 そして、鬱病の人自身、自分の事をそう思っています。「皆が出来ている事が出来ていない、自分は怠けているだけなんじゃないだろうか」
 でも、自己嫌悪の余り自殺に走ったら、身体のだるさのせいで布団から起きられなくなったら、気分が落ち込んだせいでリストカットをしてしまったら?
 其処まで行けば自分も周りも「ちょっと普通じゃないな」(いや自殺しちゃったら自分は思えないけどさ)と解る。ただ、其処まで追い込まれてしまったら治療といっても一筋縄じゃ行きませんよ。
 その人が其処まで追い込まれた背景には自分自身に対する不信感や、周囲の人との関係や、色んな要因が有ると思うのです。一番最初に躓いた時気が付いていれば、治療はある程度スムーズであったかもしれない。
 でも、死を本気で考えるまでになってしまった、家から出る事が出来ないほどに疲れてしまった、そういう人を立て直すのは大変です。本人も、周囲も。
 身体の病気や怪我だって、早期発見早期治療が肝要。心だって同じですよね。でも心の場合は実際医者から見ても判断が難しい事がありますから、(身体の病気はレントゲンだの何だので視覚で確認できますし)其れがとても難しい。
 一番問題なのは、周囲だけじゃなく自分ですら、「意志が弱いだけ」と思いかねないということ。それで自分を責めたりしたら余計酷くなる。で、もっと責める。悪循環。
 でも、一度そういうのを経験して自分が病気だという認識を持った後だって、そういう葛藤は幾らでも湧いてきます。人によっては本当に病気である事に甘えるかもしれない。
 頑張れば出来るのに「欝だし仕方ないんだ」と投げ出す事と、本当に頑張っても無理なのに「病気に逃げちゃいけない」と頑張る事の、どちらがより良いかなんて解りません。二つの境界が何処にあるのかを判断する事すら難しいです。
 だから何だといわれるととっても困るのですが、えーと、だからね?取り合えず病院いっとけって事ですよ。
 薬で症状を改善できる事も多いのですし。それに、ここ最近の私の事なんですけど。仕事でかなり落ち込んでいました。ぶっちゃけ本気で辞めようかなと思ってました。バイト探してましたよ。でも、本音を言えば辛い事があっても好きな仕事です。出来れば辞めたくなかった。
 それでも新しいバイトを探していた理由といえば、「好きな気持ちだけじゃどうしようもない位私は向いていないんだ」「このままだらだら続けていたらきっと周りの人にも迷惑」「幾らやってもきっと役に立つようにはなれないだろうな」そんな風に思っていたから。
 でも数日前の日記で書いたように、ある日ふと思ったんです。「この気分の落ち込み方、そして感情の不安定、欝の症状が強いんじゃないだろうか」実際思い切り泣いたと思った次の日にも継続して涙が出たり、自傷癖がぶり返す兆候がありました。(唇を噛み締めたり掌に爪を立てて握り締めたり)
 それで、「欝なんだったら頑張れる」そう思ったのですよね。この症状が欝なのだったら、薬で改善する事を私は知っていました。だから、仕事に対する色んな自己嫌悪や悲しみや、そういうものが薬で治るなら、もう少し頑張って仕事を続けられると思ったんです。バイト雑誌は捨てたさ。
 鬱病という病名で安心するっていうのは「逃げ」と思われる事も勿論有るんですが、中にはこういうこともあるよ、って。言いたくてですね。仕事に躓くとか、世の中には多いと思うんです。でも、そういう諸々を一度全部病気の所為にしてみて、薬に手伝ってもらって、「本当の自分はもう少しやれるはず」って、やる気を充電するのもアリじゃないかなって思うわけです。
 勿論周囲が其れを押し付けたら逆効果ですよ。でも、自分でそういう風に思うことに関しては自由だし。病気の所為にするって、「欝だから出来なくてもしょうがない」ということなんですけど、それにしたって悪い事ばかりじゃないというのは覚えておいて良い事かなあと思うです。
 本当に辛い時、それで会社を休んでしまった時もあまり自分を責めすぎない為に「病気なんだから」って思う事は必要ですよね。兎に角自分を責めると病気悪化すると思うし。周りの人も、「病気だから」と認識してくれれば一番良いかなあ。本当に病気なんだし。

 だらだら書き連ねましたがだからどうだということは無く、うーん、同じように落ち込んでいる人が居たとして、早まった行動を取る前に(辞表を出すとかさ)ちょっとだけ考え方を変える事も有効じゃないかな、と思ったもので。
 継続は力なりって言うしさー。もうちょっとだけ頑張ってみようと私は思いましたとさ。
posted by こがよしひさ at 11:08| Comment(1) | TrackBack(0) | メンタル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月10日

いつかは考える事

 何つーかここの記事を書く度に「カテゴリ増やさないと」と思ってる気がしますが。

 バスの中や道で小さい子供や赤ん坊を見ると、「欲しいなあ」と思ってしまいます。や!違う違う!!誘拐とかじゃないですよ!!!!(必死で否定)そうじゃなくて、まあ産んでみたいなあと思うわけですよ。
 勿論子供一人養っていけるほどの甲斐性なんか無いのですけれども。猫一匹で精々。
 今はまだそんな真剣に考えないといけない年じゃないですけど、このままどんどん年を取っていって、友達も結婚したりして、そうしたらきっと「産むか、一人で生きていくか」決めないといけない時が来ますよね。
 まあ「見合いで良いから結婚すれば?」という選択肢も他所から聞こえてきそうですが其れは今の所スルーで。
 ヘテロセクシャル(異性愛者)ではない、というのは現代の社会において少なからずハンデであるわけですが、子供というのはそのハンデの最たるものなんですよね。
 結局の所一人じゃ子供は作れないし、産んでも一人で育てるのは本当に大変。子供だって両親揃っていた方が良いに決まってるし。うん、シングルマザーの何が大変て、自分じゃなくて子供が大変だよ。
 片親が駄目、というのじゃないけど、でも両親揃っている子育てより一人での子育ての方が物理的に大変だというのは否定できない。(まあ実際は祖父母だとかその辺の関係の方が重要だが)
 私の場合自分の両親も離婚している上個人的にはなるべく親とは関わりたくないとか思っているので尚更。
 本当に一人だ。お金があればそれでもいいのでしょうけど、お金も無いしね。とするとやっぱり妥協して結婚するしかないのかなあ……。(嫁にしてくれる男が居ると思っているのだろうか)
 生物学的に理想を言うのであれば、あと三年。いや、もう誕生日が近いのであと二年。二年の間に妊娠しないとあとはもうどんどん出産能力は低下していく。卵子も古くなる。
 まあ最近の医学の発展は目覚しいものがありますので三十ちょい過ぎ位までは安心でしょう。ギリギリで四十代かな。うーーん……。でもねぇ。正直四十で子供産んだって其の子が成人した時六十でしょ?其れはちょっとなあ…。自分が早死にしたとして、六十五でお葬式。子供は二十五歳。うーん、墓も葬式代も無理、だ蝋な…。いや、生命保険という手がある、か……。
 と、ちょっとリアルに考えてしまいました。まあそれにしても二十そこそこで親の葬式というのも荷が重いでしょう。せめて三十代まで頑張らないと。
 そう考えるとやっぱ三十代で産みたいですね。あと十年無い。きゃー大変……!宝くじ当たらないかなあ。何千万か。そしたら安心して妊娠できるのになあ。(どうやってとかは訊かないで。企業秘密です)
 女の子が欲しいのです。二人産むなら一姫二太郎。勉強はさて置き頭の良い子に育てたいと思います。ええ、勉強はさて置いていい。兎に角頭の良い子に。本当の意味で賢ければ中卒だって立派に生きていけます。でもお金は有るに越した事は無いのでキャリアになってくれたらお母さん嬉しいわ。と、此れは冗談ですが。
 保育の専門学校通っていた経歴(一年半でお金の都合によりリタイア)が伊達にならないようにしたいなあ。読み聞かせとか、凄いじっくりやるよ自分。リトミックしたって良いよ。

 つーことで何ヶ月かに一回とか、それ位の周期で子供が産みたいなと思います。(いや正直に言うと産みたくは無い。結果だけ欲しいです痛いのは嫌いです)男性はどうなのか解りませんが、私の中にも「本当の意味で」生殖本能があるって事でしょうかね。
 あと十年のうちにきっと決断の時が来るよ。今からドキドキ★これって女性ならではの悩みなんかな。一人で生きていくのが決して不可能ではない国だからこその悩みでもある、と。うーんうじゃうじゃ。
posted by こがよしひさ at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | メンタル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月02日

サディストの心理。

 セクシャリティ間関連もメンタルに突っ込むアバウトさ。
 エーと、暇が出来たらブログのカテゴリ整理します。それまではこのスタイルで適当に、適当に。(でも整理始めたら後悔するんだろうな、今から解る)

 私という人間は変人で偏屈で卑屈で小心者で明るいと言うよりは絶対的に暗く人見知りもするタイプですが(ネット上で会話をした事があれば平気だが)しかし人当たりは極悪と言うわけではなく、寧ろ卑屈さと小心ゆえにどんな人間の言葉にも下手に出て師の影を踏まず、という感じだと思う。
 傍から見ていてどうだかは知りませんが、少なくとも我侭には見えていないと思う。なので、あまり親しくないバイト先の人だのに「私は根っからのサドです」というと驚かれる。そんな風に見えないといわれる。(親しい人には正体ばれてるからアレなんですけどー)
 真偽は兎も角、一般の人の頭の中には「サドの人は普段から意地悪に違いない」という認識が成り立っているんですかね。
 私はサディストが誰かに辛く当たる時は、好意を表現しているか本気で気に喰わないかのどちらかだと思うので普段から誰彼構わずキツイというサドには感心しない。
 つまり考え方の違いだと思うんですけど、サドにとって苛めると言うのは「愛情表現」の一種であるわけです。常々私が言っている「好きでもない奴を苛めたって面白くも何ともない」というのはそういう事。
 勿論所為のあり方は人それぞれなので私とは全然全く違う考えを持ったサディストも居ると思いますが。
 其れは其れとして、少なくとも私の中ではそういう感じだから、誰彼構わず厳しい、意地悪なサディストって、手当たり次第に求愛して回るナンパ野郎に見えちゃうんですよね。Mの心理は解らないけど、自分のパートナーが他人を苛めてたら嫉妬するんじゃないかな。
 サディストの意地悪は普通の人で言うところのキスや抱擁みたいなものなんだし。
 こういう風に思うのは私だけなんでしょうか。でも本当にS系の人って結構穏やかで人当たりが良かったりするよね。多分。
 でも私はAセクであるからして、自分の加虐性は殆ど眠っているのだろうなあと思ってます。愛しい愛しいジルを見る度に(もう毎日だ)「殺したいほど愛してる」とか「思いっきり首を絞めたいほど大好き」とか思う程度です。相手が猫だから我慢できてるんだろうな。たまにふざけて首を絞…ゲフンゲフン!
 つまりアレだ、私が恋をしない人間であると言うだけで下手な暴力から逃れられた人間が少なくとも一人はいるってことだ。良かった良かった。
 取り合えず私が本気で意地悪く思えたら其の時は私が好意を抱いた時だと思って下さい。それも並々ならぬ好意です。友人のレベルで言えば「親友」と呼びたい位好意を抱いた時です。
 でもサドの感情にも色々あって加虐と共に庇護欲がかき立てられる事もある。この場合はどちらかと言うと苛めるよりも支配下に置きたい感情が強く、要するに面倒が見たくなったりする。此れもかなり強い「好き」感情によって引き起こされるわけですが。
 今の所私の心をそういう意味で乱すのはジルだけです。うーん、ジルってば無茶苦茶私に愛されてるじゃないか。苛めたいけど守りたい、この二つの感情がせめぎ合う感覚、嫌いじゃないですけどちょと辛い。ジルを見ていると感情が磨耗しそうだ。(変態じみてるよ)
 きっと恋をするというのはこういう気持に近いんだろうなあと想像してみたり。

 こんな事を書いてるとアレだ。オフで私に会うのを恐れたり掲示板への書き込みやメールをためらう人が出てきそうだ。大丈夫です、心配しないで下さい。激しい愛情が絡まない所での私は大変紳士的です。(説得力のないフォロー)
posted by こがよしひさ at 23:39| Comment(4) | TrackBack(0) | メンタル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月18日

リスカ。

何故リストカットするのか

 別に何が有った、とか言うわけじゃなくてふと思いついたので。
 リスカをする人が周囲に居ないから、居ても詳しく話を聞いた事が無いから、もしくは聞いていても誤解していて、「死にたいから手首を切る」のだろうという誤解をしている方が大勢居ます。居ると思います。
 他人にこの話をする時、私は先ず何よりも先に「死にたいんじゃない、生きていたいから切るのだ」と説明します。
 すると、大抵物凄く納得いかない、と言う顔をされます。で、何とか説明を試みようとするのですが自分でも何と言って良いのか解らなくて、それでつい「癇癪を起こしているような感じ」「自分では抑えられない」というような筋の通らない説明をだらだらする事になってしまうのです。
 しかしそれではいけない。そんな説明では「周囲の人間が止めてやれば治まるものだ」と誤解されてしまう。でも、「自分の苦しみに気付いて欲しくて切る」というカウンセラー関係の方がよく出す説明もなんか違う。そうじゃない、そうじゃないのです。
 誰かに心配して欲しいならもっと別の方法があるし、私は同情されたいわけじゃなかった。で、今までずうっと悩んでいたのですが、何となく今日良い説明が浮かんだから忘れないうちに書き留めて起きます。
 リスカで悩んでる人が検索かけて引っ掛けてくれたらもうけもの、という事で強調までしてみた。(あざとい)

 先ず話を解りやすくする為にたとえ話をします。たとえ話です。
毎日毎日絶対に会わなければならない人が居て、その人が会うたびに「あんた死んだ方が良いよ」「何で生きてるの?」「頼むから死んでくれ」「本気であんた見てると不愉快だから、居なくなってくれない?」などと暴言を吐くとします。
 でも、その人には絶対毎日会わないといけません。どうしてもその言葉を聞かなくてはならないのです。
 さて、ここで普通の人はどんな行動を取るでしょう。先ず最初に思いつくのは、「抵抗する」ですね。
 暴言を言われたら言い返す。何でそんなに酷い事を言うのか、そんな事言わないでくれ、と交渉します。
 もしくは、自分よりも強い発言力を持つ人に味方になってもらう。相談する。
 または、ギリギリまで我慢はするけどある日ブチ切れて殴る、というのもありですね。めげずに笑顔で接し続けてやる、というつわものも居るかもしれません。
 では此処に、もう一つ条件を足してみましょう。その人には、口答えする事が出来ません。自分の周りの人は全員その人の味方で、誰も庇ってくれません。腕力も絶対向こうが上で、殴りかかっても負けは確実です。
 さあ、どうなるでしょう。其のうち身体的暴力も始まるかもしれません。それでも抵抗できないとしたら、どうしますか。というか、どうなりますか。
 普通の人は精神的におかしくなるんじゃないでしょうか。此れは明らかに過度のストレスを加えられている状況です。自律神経の一つや二つや三つや四つは失調してもおかしくないでしょう。
 分裂病になったり鬱病で死にたくなったりするかもしれませんね。
 では、其の状況を回避するにはどうすればいいのか。其れはやっぱり、抵抗するしかないんです。自分を守る為には、心の中に生まれたストレスのはけ口を見つけるしかない。どうにかしてストレスによって生じた歪みを逃し、心の安定をはからなくてはならないのです。
 此処までが、たとえ話。
 つまりリスカというのは、いかなる方法によっても外に出せなくなってしまった行き止まりの過負荷を追い出す為の逃避行動なのです。
 現実にリスカする人を追い詰めるのは上のたとえ話のように解り易いストレスでは有りません。色々な環境や原因が混ざり合って(中には誤解もあるでしょう)います。
 だから、ストレスを感じている本人ですら自分が何故不愉快になるのか解らない事があります。でも、現実にストレスだけは溜まっていきます。原因が解らないから対処のしようはありません。でも、精神的に耐えられる限界はどんどん迫ってきます。
 そういう時、心の安定をはかる為、精神の崩壊を防ぐ為に緊急回避としてリストカットするようになります。男性の場合家庭内暴力に発展するようですが、女子はリスカが多いです。(または両方併発する事もある)
 死にたいわけでは有りません。寧ろ、自分を守る為なのです。ストレスの発散といえばまあゲームセンターでパンチングマシンを叩いたり、バッティングセンターで思いっきりボールを叩いたり、というある意味「暴力行為」が手っ取り早いですよね。(この場合純粋に力を解放すると言う意味であって偏見は有りませんあしからず)
 しかし自分に突然襲い掛かる原因不明の不快感や苛々をやり過ごす為に深夜0時にゲーセンに行くわけにはいかない。というか、そういうことで気分が晴れるだなんて想像も出来ないです。
 すると一番手っ取り早く暴力を振るえる相手は、自分なんです。MDプレーヤーを破壊すれば頭が冷めた時後悔するに決まってますからね。
 で、衝動に任せて切ってしまう。すると、何とも言えない開放感がある。自分を押さえつけていた理不尽なものがすうっと軽くなる気がします。これは、経験しないとわからないでしょうね。とにかく、「クセになる」んです。凄い効き目なんです。
 しかしリスかはあくまで緊急回避です。ストレスの原因は残っているから、一定期間が過ぎれば再び限界がやってきます。それでリスカの開放感を思い出して、やってしまうんです。
 だからリスカをしている人に「どうしてそんな事をするんだ!」「親が泣くぞ!」といった叱責は止めて下さい。「怒られたというストレス」が増える事によってリスカが激しくなります。
 何故リスカをするほど追い詰められてしまうのか、其の原因を突き止めないと幾ら責めても治りません。鬱病も原因の一つであることが多いので専門医に診せるのはまあ必要でしょう。

 嗚呼スッキリした!!!!今度から私は誰かにリスカの事聞かれたらこの記事のアドレスを渡す事にするよ。万人に当て嵌まる事ではないですが(何せメンタルなことだから)少なくとも私のリスカについては説明しきった。
 取り合えず、薬でリスカが治っても本当の原因がなくならないと今度は薬に依存するようになるから何はともあれ原因を潰さないとね。リスカは思春期の女の子に多いんですけど(大人でリスカしてる人は少女の頃からずっとやってるという事が多い)、必然的に親との確執が問題だったりします。
 家庭がしっかりしていれば多少の荒波に揉まれても子供は逞しく乗り越えてしまうもの。リスカしてる娘を責めるのはお門違いなので人の親であるという方は宜しく。
 間違っても私の父親のように「今度こんなことしたら俺が五寸釘ぶち込むからな」などと怒鳴らないように。(毒)あ〜、此れだから父親の事だけは乗り越えられないんだよ。貰った傷が多すぎる。
posted by こがよしひさ at 21:26| Comment(1) | TrackBack(0) | メンタル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月12日

メンタルと言うほどでもないが。

 言うほどでもないんだがまあ一応セクシャリティの話題なもので。

 私がまだ若い(否もう本当一般的な意味でですよ)所為か、Aセクシャルの説明をしてもしっくり来ない事があります。自分的にもね。「それって初恋が遅いだけじゃなくて?」と言われると、「う〜ん確かにそうなんだが……」と思ってしまうのです。
 女の子萌えもするし芸能人は男女関係無く好きな人も居るし。(この場合の好きはゴシック建築が好き、という種類の好きでしかない)人間自体が大っ嫌いだというのではありませんからね。
 寧ろ私は好きなほうじゃないかね。人間。(意外と思われるか妥当と思われるか判断つきかねる)
 まあ元々セクシャリティの決定なんて自己申告に過ぎないし、ゲイだと思い込んでるバイも居ればバイだと思い込んでるビアンも居るだろうしヘテロだと思い込んでるAセクだって居るかもしれん。
 でも誰がどう思おうと、「自分のセクシャリティは此れだ」と本人が確信していればそれはもう覆らない事実になるのであります。ビアンだあと自覚してるって事は女性に恋心を抱くんでしょうし、此れは別に間違った分類法じゃないですよね。セクシャリティは物質や数字的に表現できるものじゃないから。
 とすると、Aセクだってやっぱり自己申告に過ぎないわけですよ。でも、自分がそう思えばそうなるんです。それがセクシャリティです。
 と、ここまで話して置いていざ自分の身を振り返れば、嗚呼もうそれはそれは何の文句もつけようが無いほどに何処までも限りなくAセクです。Aセクなのです。
 大体初恋って思春期ですよね、一般的に。大人になってから「アレは恋なんかじゃない、ただの子供の憧れだった」と自覚するような事があったとしても、思春期真っ只中の頃には「恋だ」と確信出来るだけの感情を抱いていた事に間違いは無いでしょう。
 恋と自覚して無くても良い。何となく胸に引っかかるような、そういう淡い淡い感情だって良いです。相手が芸能人でも構わない。
 そういう何となく気になる、ひょっとして此れが恋かしらはたまた憧れなのかしらと言う、其れがある筈なんですよ普通は。思春期の頃に。まあ遅くても高校生くらいかなあ。
 其の感情に肉欲が伴おうと無かろうと、現実的だろうと夢想的だろうと、友達と一括りには出来ない特別な感情を抱いたのなら、それが初恋と呼んで良いと思う。
 芸能人まで幅を広めてみれば、いかがだろうか。そういう気持すら一切全く全然これっぽっちも抱いた事は無いよという人はかなり少ないんじゃないでしょうかね。
 それ以降誰の事も好きにならなかったとしても、そういう人たちには私は恋愛のきっかけは幾らでもあると思ってます。一度味わった感情を昇華させるのはゼロから始めるよりもずっと簡単なのですから。
 でも、再び己を振り返ってみると、私には一切全く全然これっぽっちも完璧に、無いんです。誰か一人に心ときめかせた事が。芸能人でも二次元でも「ああ、好きだなあ」としみじみ感じ入るようなそんな気持を抱いた事が無いのです。
 恋愛小説や映画、色んなコラム、エッセイによって恋愛感情がどういう感覚で、肉体と精神にどんな効果をもたらすのか、という事はまあ知識として、文字の記憶としては解ってます。
 でもそれは、人の胸を刺し貫いた感触を説明されているのと同じで、自分で小説を書くときに応用してリアルっぽく表現する事は出来ても、本当に掌に感触を浮かび上がらせる事は出来ないんです。
 私はAセクで恋愛はした事がないしこれからも出来ないけど、小説の上で恋の話は腐るほど書くでしょう。胡散臭い余韻をつけたりしてリアルさも追求する。でも、それだけです。
 というと、「恋をした事が無くて恋愛小説がかけるのか」と言う声も頂きますけど、だったらホラー作家は全員殺人鬼に追っかけられたり幽霊に殺されかけた経験があるのでしょうか。推理小説家は人を殺したり警察より先に事件解決した人じゃないとなれない?ファンタジー書くためには異世界に行った経験が無いといけないかしら。
 そんな事は無い。文字で表現出来る事は現実世界に縛られない。寧ろ現実世界でできない事こそリアルに追求するべきで、だからこそ文学は文学たりうる。
 嗚呼、話がそれました。
 私にとってはつまり恋愛と言うのは「人の身体を日本刀で貫いた時の感触」もしくは「誰かの首を自分の手でへし折った瞬間の気持ち」と同じなんです。
 本で読んで、其の状態がどんなものだかちょっとは解る。でも、それは自分にとって全くリアルではない。夢の世界よりももっと遠い。本の中にだけ存在するし、映画の中にだけ、ドラマの中にだけあるもの。
 初恋がまだなだけなんじゃないかと言う指摘は私の中では「リアル」ではないんです。「何時か誰かを殺す事があるかもしれない」と指摘されれば「勿論其の可能性は否定しない」と私は答えます。
 でも、論理的な説明は出来ないけど、絶対にそれをする事は無いだろう、と、心の中で思っています。人殺しと恋は、私の中で同列のものです。「現実味が無い」と言う意味でですよ?ちょっと経験してみたいけど、でも一生その機会は無いだろうなと確信できる数少ない事象の一つです。
 だから、セクシャリティが自己申告制だというのなら間違いなく、何処までも、墨に浸したティッシュみたいに一点の迷いも混じり気もなく、私はAセクなんです。恋を知らない人種なんですよ。
 論理的には説明できないけど絶対の自信を持って断言できる。此れは中々ない事です。多分。しかし世間一般の方から見れば恋愛感情は「タクシーの運転手にムカつく」程度のリアリティなのかもしれないし、「宝くじで小当たりする」ていどのリアリティなのかもしれないですね。
 「絶対に地球が滅んでもありえない」と言い切れる私の発言が中々納得していただけないのもそれは仕方が無いことです。もっと上手い説明の仕方は無いものかね。
 初恋がまだなだけ、と言われても不愉快ではないんですが其処で話が終わると自分の中でもやもやが残るんです。折角訊いてもらったのに的確な返答が出来ていない、初恋が一生来ない事を私は確信しているのに上手く説明できない。そう思うと何となくもやもやして。
 一言で説明できないだろうか、此れ。取り合えず思いっきり初恋が遅かった人のお話を聞ければ打開策が見付かるかもしれない。二十代後半とか三十代以降とかが初恋だった方、居ませんかねえ。お話が聞きたい。
posted by こがよしひさ at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | メンタル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月02日

マイノリティ的に。

 久しぶりに朝余裕があるのでちょっと書いてみたりして。
 テレビの星座占いで、「今日の運勢NO.1は魚座!」と言われたりすると些細な事だけど結構「へ〜今日は良い日なんだ〜」とか嬉しくなります。信じてるわけじゃないけど「今日は良い日だよ」って言われるとまあ人間ですし悪い気はしないじゃないですか。
 でもね、それだけならいいんだけど、なんつうの?「片思いして居た人に気持ちが通じそう!」とかそんな内容を告げられるともう、逆に凄い気分が重くなる。
 私には恐らく一生片思いの人も出来ないし、したがって気持ちが通じて嬉しくなる日は来ない。
 日常にはそういう些細な事がもう山のようにゴロゴロしていて、まあ神経質だなあと自分でも思うんですけどやっぱカチンときます。
 私が毎日通っている池袋の本屋さんでは世界の中心で愛を叫ぶDVDのCMエンドレスで流してるし雑誌では「男受けする」メイクの特集とか組まれてるし雑誌の星占いでも恋愛運がメインな感じだし旅行の雑誌ですら「恋人と泊まりたいホテル」特集とかが組まれてて嫌がらせですか、と。
 正直言って世界の中心で愛を叫ばれても私は心動かされないし男受けする事に欠片の興味も無ければ(男も私に興味は無かろう)恋人とホテルに泊まるくらいなら野宿の方がまだマシだし星占いで恋愛運を読まされるなら金運について二倍の記事が読みたい。
 そんな人間も居るんで御座います。
 恋愛小説や映画だったら元からそういうもんだと思ってるし楽しく見ることも出来るんですが(あ、でも世界の略みたいに狙いすぎてたら厭。タイタニックも白けた)、そういう風に構えてない時に「恋愛しましょうよ」的な世間の風に触れると凄く、不愉快とまではいかないけどあーーーって感じになります。(どんな感じ)
 他人が今している恋愛について聞かされるのは寧ろ興味深くて面白いんですよ?でも、何て言うかなあ……。
「女性にとっては結婚が一番の幸せ」というのはもう古い考えだと納得してくれる(だろうと思われる、多分)世間も、「恋愛は誰もが夢中になれる素晴らしいもの」という信仰は中々捨ててくれない。
 雑誌や広告は勿論最大多数に向けて発信されるものだし、其れは仕方が無いんですけど。まあ私もそういうのを作る一人でもあるわけですし。
 でも何となくマイノリティの居心地の悪さはある。皆赤い服を着ている中に一人だけ黒い服で紛れ込んだような……。
 赤い服は嫌いだし着る気も無くて、黒い服が大好きなんだけど、其れは変わらないんだけど、でも周囲が赤一色だと自分が変なのかなあって気にはなるよね。
 ゲイやビアンはそれでもお互い理解しあえる恋人が作れるかもしれないけど私のような狭義のAセクは結局の所本質的に支えあえる人は中々見付からないし、(親友は居るんだけど親友は恋をする人だからこの気持ちは理解してもらえないし、といってAセク同志だからというだけで親友になれるほど子供じゃない上親友程度には仲良くないと支えたり支えてもらったりはできないでしょ?)そういう意味ではAセクは孤独なマイノリティなんでしょうね。
 恋をするAセクも居るけど、私はそれですらない。今はまだいいけど後十年もしたら今度は「結婚は?」「子供は?」って声もするようになるんだろう。気が重いわけです。何だかなー。
posted by こがよしひさ at 08:04| Comment(0) | TrackBack(0) | メンタル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月31日

しんみり。

 結構自分的に重い話などを良くするので潔くメンタルカテゴリ作りました。もうコレで思う存分愚痴れるというもの。
 重い話が嫌いな人はメンタルカテゴリの記事は見なければ済む話。よしよし。

 寒い季節になってきたからなのか、冷えた空気を感じていると凄く昔の事を思い出します。といっても私まだ若いので(厭味か)バブル崩壊前の記憶なんか有りませんけどね。
 私が物心付いた頃から高校卒業の思春期まで過ごしたのは茨城で、東京などよりも寒い地域でしたから夏場よりも冬場の方が記憶が掘り起こされます。コレは誰でもそうなんじゃないでしょうか。沖縄育ちの人は夏になったら子供の頃を思い出すとか。
 高校時代の友人や弟、それから両親の事を何となく考えてしまいます。特に母親の事。寒くなるとやっぱり。
 我が家が崩壊したのは私が中学生の頃でして、元々子供の方から「離婚して下さい」と頼むほど駄目な夫婦だったけど、最後の数ヶ月の壊れっぷりはもう色々と昼メロみたいで冷静に笑えます。でも気分が落ち込んでるときに思い出すと死にたくなる。
 家を出て帰らない母親を追いかけて父親が私達兄弟を道連れに車を走らせたのがやっぱり寒い季節だったような気がします。記憶違いだったかもしれないけど。
 どうして夫婦の問題に子供が巻き込まれなきゃならんのか、話し合いもせずに母親がひたすら逃げるのは何故なのか、迷惑極まりないこの状況が打開されんのが何時なのか、助手席で色々考えていた事は覚えてる。
 私は冷めた子供だったのか兎に角両親が元に戻らない事は悟っていて、だったら別れて欲しいと思っていました。
 そういう感じで色々しっちゃかめっちゃかになっていた頃も今も、一番不思議なのは「どうして駄目になっちゃうのかな」って事です。最初はお互い好きで結婚したのだろうし、ずっとずっと幼い頃、幼稚園位の頃は両親の仲も良かったような記憶があるのです。(小学校入るとそんな記憶には思い当たらないが)
 人間同士の事だから色々あったんでしょうけど、結婚するくらい好きあっていた筈なのにどうして駄目になっちゃうのかなあと。それだけがとても不思議で。一度好きだったのに二度と其の気持ちを思い出せない位に関係が壊れてしまうって、何ででしょう。
 恋人と喧嘩別れしたとか言う経験のある人ならこの不思議が解るんでしょうけど。(まあ理由なんか無いんだろうとは思います)運悪くAセクシャルである私にはそもそも誰かを好きになると言う感情も理解できなければ、憎む気持ちも全く解らなくてひたすらに困惑してしまうのであります。
 傍から見ていて「どうしてそんなに執着するのか解らん」と私に思わせる恋人達ですら私の両親のようになる可能性はあるわけで、其れは、凄く不思議な事ですね。不幸になるために結婚したんじゃないと思うんですけどね。
 私が父親を憎んでいるのは素敵な理由が根底にがっちりあって、だからなので単純明快なのですが夫婦の事は解りません。
 母親については成長したからか昔のような嫌悪感は大分薄れました。良い事です。思うに、彼女は私と弟の「母親」という属性を持ってはいたものの、結局「女」という種類の人間だったのでしょうね。
 子供の事が大事だとか、子供を守らなくてはとか、そういう感情よりも自分が大事だとか、自分のやりたいようにしたいとか、そういう感情の方が勝ってしまう性格だったんです。性格なら仕方が無いさ。頭も良いとは言えなかったと思う。顔も声も思い出せないけどそんな印象だけは覚えてる。不思議ね。
 両親共に十人並みよりはちょっとばかり容姿が優れた記憶が有りますが其の事も悪かったのかなあ。母親も思い切りおばさんの外見だったなら浮気とかもしなかったでしょうしね。私の母親であるというのに彼女は恋多き人間だったようで。本当に、私の親なのに!微塵も似ていないですね。
 両親共に私とは似ても似つかない。恐い。私ひょっとしてエイリアンなんじゃないだろうか。まあ其れは置いといて。
 そういう諸々の何というか、思い出してもどうしようもない事を次から次に思い出してしまうので寒い日は危険です。
 大昔、というのはまだ憚られる割と近い昔、リストカットに現を抜かしてしまったのは勿論私が弱かったからで、全面的に自分の所為だしそれを誰かの所為にするのは卑怯だと解ってるんですけど、それでも気を抜くとつい「親がなあ」と思ってしまう。
 両親がどんな人間で私にどんな記憶があったにせよ、結局自分の行動を決定するのは自分でしかないのに(成人したなら尚更)それでも事あるごとに「親が」と思うのはまだ私が未熟な所為かな。
 何時かもっと私が強いしっかりした人間になったら父親の事も母親の事も灯油の臭いも悲鳴も(何があったんだ)全部スッキリした気持ちで受け止められるんでしょうか。
 常にではないけれど、体調が悪かったり気分が落ち込んで欝になっている時に幸福そうな家族を見ると憎くて仕方が無くなります。刃物を持っていたら危険な事するかもしれないです。ええ、八つ当たり何ですけど。そういう気持ちも無くなっていくのかなあ。そうだと良いな。勿論今でもこっちまで幸福になる時もありますけどね。
 中学校や高校入学当時のあの頃の事を思い出すと、自分がどんなに厭で身勝手な人間かを思い知らされて正直辛いです。自分勝手で幼くて、どうしようもない。エゴの塊みたいな性格の私が其処には居て、今も多分何処かに居て、環境が悪化すれば簡単に顔を出してしまうんでしょう。
 それが恐くて厭だ。とても。本当に性格の良い人というのは一体どういう精神世界を持っているのかなあ。気になる。誰かの悪意に晒された時、理不尽な攻撃を受けた時、どんな風に感情を処理するんでしょう。色々コツを教えて欲しいですよ。本気で。コツなんか無いんだろうけどさあ…。

 私と似た、というか多分私よりも過酷な環境に長く居た親友は、小さい子供が嫌いな事を「子供が嫌いな私は異常なんだ」と泣きながら訴えてきた事がありました。親にされたことを思い出す度に幼い子供に対して複雑な感情を抱いてしまうらしく、其れは堕胎を経験した事によって激しく加速して彼女を追い詰めたのだと思います。
 其の彼女を宥めた時に使った言葉が「お前じゃなくて親がいけなかったんだ。お前は被害者で、傷付いてるだけなんだ」っていうものでした。
 最近その事も良く思い出します。というか、もう色んな厭な事を近頃急に思い出すようになってるんです。小学校時代にねちねち苛められた事は余り思い出さない上思い出したところで少しも気分を害さないので実際私の精神に一番深い傷をつけたのは血の繋がった親であったというのは皮肉ですが。
 小学校の校長室に乗り込んでいった父親こそが数年後に私を殺しそうなほどに傷つける事になるなんてええ、全く思いもしませんでした。あの頃は平和だったんだなとおもう。週に一度は父親が夕飯の皿をぶちまけてた気がするけど。
 其れは兎も角、まあ色々思い出すんです。親友に言った言葉を今度は自分に向かって呟いている。其れは、勿論逃げです。其れは解ってる。私の場合はあの言葉は当て嵌まらない。
 ただ、二年ほど前まではこういう事を思い出す度にリストカットしていたのに今は泣くだけで済んでいる、というのは物凄い進歩です。
 此処最近良く思い出すって言うのはひょっとして、そろそろこういう記憶を乗り越える余裕が生まれてきた事の顕れなんじゃないかと。だったら、今は辛いかもしれないけど来年の今頃は、今とは全然違う気持ちで記憶を受け止められているかもしれないって。思うんですけどどうでしょう。
 涙が出るってのは良い事だと思うんです。本当にギリギリの時、限界の時はね、涙も出ないんですよ。
 高校上がった頃か、中学卒業前か、其の辺りだったと思うんですけど私が父親に性的虐待すれすれの事をされた時は(てゆーか他人にやってたら間違いなく強制猥褻罪だったよパパン。お陰で実の父親の臨戦態勢なブツのサイズを知っているという世界でも少数派の人間になっちまったじゃないか。セクシャリティやはまりジャンル以外でこれ以上マイノリティにはなりたくない)涙は出ませんでした。
 あの血が凍るような感覚は今でも忘れられません。涙は、どうでも良い時には出るのに本当に必要な時には出ないんだなあって思ったものです。
 でも今は泣ける。コレは凄い進歩よ明智君。泣けるくらいどうでもいい傷になってきたという事なんでしょうね。泣くとスッキリするしね。もう七年近くも前の事なのになあ。今漸く平気になりつつあるのか。不思議〜。

 そんなわけで寒い日は色々厭な事をたっぷり思い出して、でもそれを乗り越える為に頑張る事が多いです。多分頑張っている大部分は私の脳みそなんですけど。色々分泌してんだと思うよ。お疲れ様。

 本当に読後感最悪なメンタル記事を書いちまったね。でもそういう諸々を乗り越えつつあるって意味だから。大丈夫、こうやって人間は強くなっていく。
posted by こがよしひさ at 02:48| Comment(0) | TrackBack(0) | メンタル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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