2006年09月25日

言葉遊び。

 久し振りに猫の子みたいな金にも食にもならんことについてだらだら考えたので備忘録程度の心構えで書き留めてみる。
 因みに何の話だか良く解らない人は「坂東眞砂子 子猫殺し」でぐぐればもうお腹一杯、と言うほど知れると思う。知りすぎてこの上私の駄文など読む必要は無いと思われる可能性すらある。
 読む価値も整合性も無い独り言だしね。

 それは兎も角。

 そもそも猫の生殖を人間がコントロールする事は果たして本当に「不自然」で「許されない事」なのかを考えてみよう。
 猫の生殖をコントロール、この場合は「不妊手術」か「堕胎」に限らせていただく。産まれた子を「間引く」ことは「既に猫として存在してしまった個体に危害を加える」ことであるのでどちらかと言えば「忌避できた筈の不必要な殺害」としたい。
 これ前提でお願いします。早産と何処が違うのかわかんねえよって位ギリギリの堕胎とかは定義してると眠れなくなっちゃうから考えない方向で行こう。

 んでまた最初に戻るのですけれども、さて「猫に避妊を施すのは不自然な事であるから妊娠するまま、出産するままにするのが正しい事である」と言うのは妥当だろうか?
 これを妥当と言う為には、「人間による不妊手術は自然なことではない」という前提が必要になる。
 私が疑問に思うのは正に此処で、人は人の社会の中では確かに「野生動物」ではないけれども、もっと大きな視点に立てばどうだろうか。地球という星に広く分布するホモサピエンスという種類の動物であるとは思えないだろうか。
 このホモサピエンスという動物は基本的に食物連鎖の頂点に立ち、他の動物とは異なる高度な知能を持っている。そして他の動物達を飼育使役、または保護する習性を持つようだ。
 此処まで書いたらどうだろう。何となーく「人間が何をやってもそれはやっぱり自然の中の営みなんじゃねえ?」って感じにならないだろうか。ならなそうだな。でも私はそんな風に感じる事が多いのですよ。
 例えば昆虫でも魚でも哺乳類でも、自分とは違う種類の動物を上手く使って生活する事は珍しくないようです。双方に利益があれば共生というし、片方にしか利益が無ければ寄生とでも言うのかな?
 人間はたまたま他の動物よりも脳みその皺が多かったので「あれもこれも他の動物にやらせれば便利じゃん!」と気が付いたりした。更に「肉とか自分で育てちゃえば狩する必要ないじゃん。やべー、俺頭良いー」って状態になった。
 此処までは多分、自然の範囲内なのだと思う。人間と言う種類の生き物にとって食肉用、或いは労働用に人類ではないものを使用するのは有益だものね。
 尚且つ人間には愛情とか愛着とか呼ばれる感情があって、長年自分に尽くしてきた動物を慈しんだりするようになっちゃったりして、それが多分ペットの始まりなんじゃないかと思うんですけどさて、ペットは不自然な事だろうか。
 人間が「他の動物を容易に管理しうる能力を持ち、また他の動物と共に暮らす習性を持つ」場合、単に愛玩用に何がしかの生き物を傍に置くのは「不自然」な事だろうか?
 まー現実的に「他の動物と共に暮らす習性」なんか持ってないけどね、多分。でも例えば宇宙人なんかが人間を見たら、ペットを飼う世帯の多さにビックリして「これは習性なんじゃないか?」って思う可能性も有る。
 要は人間が何をやったってそれはもう「自然の営み」の範疇なんじゃないかと。核を作って落としても海を有害物質で七色に染めても、其処に生息する動物の行動に過ぎない。ちょっと行動の規模がでかすぎて多くの同族と無関係の動植物を巻き添えにするけど。
 そこはそれ、隕石が落ちたとでも思えば。
 人間は「考える」事が出来る故に、また、自分と自分以外の動物達とのあまりに大きな隔たりを感じるが故に自分の事を自然ではないと思いがちだけど物凄く長い目で見ればそんな事はないのでは。
 此処まで栄えた以上、ひょっとしたら人類は地球の終わりまでこの星の中で頂点に君臨するかもしれないし、最悪地球が終わる頃には水星とか火星に住んでるかもしれないけどそれでもやっぱり「銀河系に生息するホモサピエンスと言う種類の生き物」でしかない。
 なんつーか、こういうこと。(最初からこれでよかったんではないか)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%A1%9E

 で、自然の生き物であるホモサピエンスが飼い猫に不妊手術をした場合、それは多分猫にとって「怪我や先天性疾患によって生殖能力を無くす」ことと大して違わないんじゃなかろうか。
 この二つの間に明確な差を見出すならばそれは「人間に便利なように」という意思の有無であって、ぶっちゃけ意思が有ろうが無かろうが当の猫には関係ないことだけは確かだよね。
 更に言えば「自分の都合が良いように多種族の不利益を実行する」生き物は別に人間だけじゃない。
 カタツムリに寄生する虫は「ああ、私が生きる為とは言え罪も無いカタツムリを操って鳥に食われるように仕向けるなんて、無慈悲! 鬼畜!」とは思わないだろう。
 この寄生虫と人間の間にある差は「罪を罪として認識する」意識があるかないかだけであり、それこそ意思の有無の問題。
 この件に関しては多分「罪深い」と思うから罪深いのだし、「不自然だ」と思うから不自然なんだろう。「善い」とか「悪い」とかそういう基準をあてはめる種類の問題では無いとすら言える。
 当たり前っちゃ当たり前ですけどね。

 んで長くなりましたけど、そういう事を踏まえた場合「猫に避妊をするのは不自然で可哀相だからしたくないけど生まれた子猫は育てられないし邪魔だから、殺すよ」って考え方や行動は妥当なのかと。
 崖下に放られても多分直ぐには絶命しないでしょう。一日、或いは二日、もしくは数時間。
 死に至るほどの傷を負って苦しまなければいけない必要は何処にあるのか。その正に「死ぬほどの痛み、苦しみ」は「子供を産めなくなるなんて可哀相だ」という感傷や「私は全ての苦しみを引き受けている」なんて自己陶酔と果たして釣り合うのか。
 天秤は、どちらに傾いている。
 私自身のこれも感傷である事は認めますけれども、ただ「苦しんで死ぬためだけに生まれた子猫」などこの世の何処にも存在して欲しくないのです。


 小娘が書いた青い主張みたいな感じがする。恥ずかしいな。でも人間の本質なんか変わらないよね。五十代になったって多分私は「実は自分サトラレだったら生きていけねえ」とかって妄想して悶えると思うよ。
 そして「虐待されて死ぬ子供」のニュースをみて憤るよ。十代の偽善的な小娘みたいに。でも其れはあんまり悪いことじゃない、と、思うのですよ。何時までも若々しいって大事よね!(物は言い様)


posted by こがよしひさ at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月16日

久し振りに面白かった事。

 面白い、と言うのは笑えるとかじゃなくて、興味深いって意味なのですが。
ふらふらネットの海を彷徨っていたらフレーム問題と言うのを見かけました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%95%8F%E9%A1%8C

 成る程、考えてみれば不思議です。
人間にはどうしてフレーム問題が起きないんでしょう。無駄は除いて、必要な分だけを考慮して物事に当たっている。(必要なのにうっかり省いて失敗することもありますが……)
 でも私もたまにフレーム問題起してるかも。慣れない事を頼まれると作業一つ進めるごとに「これで大丈夫だろうか」と考えずには居られない。時間がかかること夥しい。んで結果が正確かといえば、機械ほど綿密な思考は出来ないからヌケがあったりするんです。駄目じゃん。

 人工知能の事はあんまり知らないですが、面白い分野なのかもしれませんね。アプローチの仕方が凄く多そう。嵌ると抜け出せない気配がしますけど。
posted by こがよしひさ at 16:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月24日

世界がもし100人の村だったら

動画で見る『100人の村』

 こんにちは、上位8%の富裕層です。(うわー嫌な挨拶)自分の国が物凄く裕福である事を自覚する時、鳥肌が立つ。知りたくない事を知ってしまうからだと思います。
 戦争とか拷問とか飢えとかは何か、映画や漫画や歴史小説の中だけのお話で、だからそれについては自分は全く考えなくても良いのだと、普段そういう殻を作っているのだと思います。
 だからそれを金槌で叩かれると非常にドッキリする。寧ろ、自分の方こそ夢の世界の住人の癖に。
 凄くブルーになるんですけれども多分そういう知識は持って置いた方が良い。どんなに凹んでも知っておくべき事だと思う。
 もし上流階級に特有の義務があるとするならば、多分こういう事を知るのがそうだと思う。知っていたからどうだと言うことでもないけど。
 でも例えば一寸した気紛れで募金しようと思うかもしれないし、大いなる気紛れでフォスターペアレンツに申し込むかもしれないじゃないか。
 気持ちがどうあれ行為は行為だから。

 っつーことでリンク張ってみました。
posted by こがよしひさ at 22:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月16日

欲しがりさん。

 何かを書いたり描いたりする人は解ると思うんですが、結局書き手というのは「言って欲しがり」「褒めて欲しがり」なものです。そうじゃない人も居るとは思いますが。
 例えば誰かに何かを認めてもらうのが最大目標ではないにしろ、それでも良い反応が貰えるに超した事は無い、賛辞は貰えれば有り難いわけで。
 世の中には「上っ面の言葉だけ言われても自分の作品の深みを理解してくれないなら嬉しくない」とかいう難儀な人もいるようですが少数派だと思うよ。
 私だったらば作品とは全然ベクトルの違う言葉であってももらえるだけで嬉しいものです。Ich Liebeで「抜けた」とか言ってもらっても構わない。言ってくれる人によっては最大級の賛辞だと思うから。
 私だけでなくそういう人は結構多いと思います。だからこそ人気がある、反応が良いジャンルには人が多く長く居着くし、人気が無い、反応が薄いジャンルには心の挫けない少数が残る。
 例えば同じ位好きな作品が二つあったとして、一つは更新する度に反応があるけどもう片方は何をしてもさっぱりだったなら、ボルテージも違ってくると思うんですよね。
 自分が好きだというのと、継続して何かを作り続けると言うのは気持ちの出所が違う。とても近い所にあるけど、違うと思います。

 何が言いたいかっていうと、あれだ。ネウロとかVCとか更新の気配が無くて御免なさいって事ですよ。その言い訳なんですよ。
 あんまり今までに無い経験をしたものだから酷く舞い上がってしまっているのですよ。擬人化萌えは好きだけどメインに据えてなくて、気軽な気持ちで描いただけだったから、例えて言うなら「道端に落ちてた鞄に1000万詰まってた」感じ。大人しく警察に届けても相当額もらえるよ。
 つうか本家ニホンちゃんも良いです。好き。お勧め。日本ちゃん部屋を作ったらリンク張りますので是非御覧になって。
 日本人のそういう平和ボケは好きなんです。なんでも萌えにして受け入れてしまおうという。勿論政治家さんにはがっちり毅然とした態度を取っていただきたいんですけどね。
 民間レベルは民間レベルで友好的にいこうよ、という事。
posted by こがよしひさ at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月05日

エキサイト。

 北の某国エキサイトしすぎじゃないっすか。7発目の発射は事実上の宣戦布告であると取りますが如何でしょう。相手が日本じゃなかったら地図から消えるかもしれない行動ですよね。

 今まで散々このブログでも「あの国は理解出来ない」「あの国と仲良くするのは無理だ」と申しておりましたがどうやらソースがつきそうですね。
 事此処に至っても「日本の外交努力が足りないからミサイルを打たれたのであって、悪いのは日本だ」とか言う人も居るみたいですが個人的にはそういう人の脳みそは何グラムか軽いと思います。もしくは皺が十本くらい少ないのだろうと思います。
 この状況ではロシアも中国もあの国を背負う事は無いでしょう。メリットが無い。デメリットは両手から溢れんばかりですけど。
 国同士の関係なんてシビアなものです。他国の人間よりも自分の国の人間が大事。日本の場合は国民の財産と命より大切なものがあるみたいですけど。ともあれロシア中国といえどもこの状況ではフォローのしようが無いよなあ。
 もしも本当に日本の本土に着弾した場合、そしてそれがまかり間違って東京だったりした場合、下手打つと世界を敵に回すことを理解しているのでしょうか。
 今日本経済が壊滅的打撃を受ければ影響は世界規模だと思いますですよ。迷惑かけるのも世界規模って事で、首尾よく日本を抹殺出来てもその後住み難くなっちゃうじゃないの。

 恐らく戦争になるのだと思いますが、さて出兵するのは何処の国なのか。通常ならば日本なんでしょうけど、日本だからなあ。嗚呼でもひょっとしてジャパンマジックで戦争回避するかもしれないな。戦闘行為に対する拒絶反応たるや凄まじいものがある。
 個人的には永久に眠れる獅子として諸外国に嘲笑されるのもこの国らしいと思います。何だかんだ言って自分の国の人が人殺しだのに駆りだされるのは嫌だ。(その代りに他国の人が戦う事になっちゃうかもしれないんだが其処は見て見ぬ振りです。決して自らの手を汚さずに、それで居て命と財産を守るってのはそういうことだもの)

 そんなわけで暫くはニュースから目が放せません。これもきっと数年後の教科書に載る出来事なんだろうなー。やれやれ。
posted by こがよしひさ at 20:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月24日

お母さんというもの。

 母の日が近いですから(近い、よな? スーパーに広告が踊る程度には)ちょっと「母親」というものについてお話したいと思います。
 年頃の娘さんや息子さんは、年頃であるが故に「親ってうざい」とか「金だけ寄越してりゃ良いのに」とか「早く縁きりたい」とか思いがちで御座います。
 今日はそういう人に向けて書いてみます。つーか本当、別にこれなんかの勧誘とか自己啓発セミナーとかじゃないですから。

 あなたが自分の母親をどうしても好きになれない時、自分は愛されていないと感じる時、私はあなたに「胎児に戻ってもう一度産まれて御覧なさい」と言います。
 それは詰まり、あなたが小さな命として発生してから、どんな風にして産まれ、此処まで育ったのかを考えて御覧なさいという事です。あなたの記憶の中のお母さんはそれは酷い人で、冷たい仕打ちばかり、鬼みたいだったのかもしれない。それでも、考えてみて欲しい。
 まず、あなたがまだおたまじゃくしだった頃の事。多分お母さんは食べた物を吐き戻したり、苛々したり、泣きたくなったりして居たでしょう。肌が痒くてたまらなくなったり、眠気に襲われていたかもしれません。髪がばさばさになり、虫歯が増えたかも。
 其の時期が過ぎると貴女のお母さんは好きな服を着れなくなったでしょう。約半年の間、ヒールの高い靴とか、細身で綺麗な洋服とか、可愛い、或いは格好良い服を着ることを諦めなくてはならなかったと思います。
 で、厚手の靴下とかトレーナーとかウエストがゴムのスパッツとかに甘んじなくてはならなかったりしたでしょう。おせっかいな姑から暑苦しい腹巻を贈呈されたかもしれません。あなたがもし、お洒落の好きな女性だったら其の気持ちを想像してみて下さい。
 でも、あなたのお母さんは自分が好きな洋服を着てお酒を飲んだり煙草を吸ったりすることよりも、あなたを産み育む事の方を選びました。仕事をして居たお母さんは、仕事を諦めたかもしれない。
 それは勿論、沢山の理由と環境の中での選択でした。でも私はこう思います。お母さんはあなたを「産みたかったから」お洒落や仕事を我慢したんです。
 何で産みたかったかというと、あなたを愛していたからです。殺したくなかったからです。
 やがて月満ちてあなたが産まれます。それで、お母さんは頑張って体型を元に戻して綺麗な服を着て遊んだと思いますか? あるいは、仕事に復帰したと思いますか?
 そうする人も居るかもしれませんが常識的に考えて私は無理だったと思います。何故なら、人間は毎晩毎晩三時間おきに叩き起こされていたのでは元気に活動する事が難しくなるからです。
 平均を取ると新生児の授乳の間隔は大体三時間、長くても四時間程度だそうです。人によっては二時間おき(一時間という人もいらっしゃるらしい)にお乳を与えなくてはなりません。
 一日か二日で良いですから、二時間おきに目覚ましをかけて寝てみてください。疲れも取れないしかなり辛い筈です。ゆっくり眠れる事がどんなに素晴らしいか思い知るでしょう。
 でも世の中の殆どのお母さん、或いはお父さんはこの辛い数ヶ月を乗り切っています。乗り切ったから今、あなたが居るんです。乳をやるのが面倒だ負担だと丸一日放置されていたら、そういう事を平気でする人が両親だったら、恐らくあなたは今生きては居ません。実際其の手のニュースは定期的に耳に入ります。
 では何故あなたは育てられたのか。生きているのか。
 あらゆる種類の嫌がらせを、多分あなたはしてきました。夜中に泣き喚き、お母さんの大切な洋服を汚し、本を破り捨て、掃除したばかりの床にしょうゆとケチャップをぶちまけ、真っ白な壁紙に油性マジックで絵を描いて、水溜りに突撃して泥まみれになったことでしょう。それも、一度や二度ではなく数え切れないほどに。
 それでもお母さんはあなたを捨てたりどっか他所のうちの子にしたりはしなかった。大変個人的な意見ですが、でもそれはきっとお母さんがあなたの事を好きだったからです。どんな嫌がらせをされても離れたくないほどに好きだったんです。
 今もそうかは残念ながら解りません。でも、あなたの記憶がおぼつかなくなるほどずっとずっと昔には、確かにあなたは愛されていたのだと、私はそう思うのです。
 もし今、あなたとあなたのお母さんの関係が悪くないのなら何かの機会にでも尋ねてみると良いでしょう。「私が産まれた頃に何か大変な事はあった?」とか「どんな悪戯した?」とか。
 お母さんから聞かされる話がぎょっとするものであるほど、お母さんが「あんたのせいでこんなにも苦労した、あんなに辛かった」と言えば言うほど「それでも捨てたりはしなかった」という事実が強く意識されると思うのです。
 其の事を良い風に解釈するか、悪い風に解釈するかはその人次第です。が、私は良いように解釈した方が良い気分になれると思います。
 つまり、「そんなに辛かったことも結局我慢してしまうくらい私の事が好きだったんだなあ」と。口に出しても良いかも知れない。案外お母さんは「そうよ、其の位あんたが可愛かったの」と答えるかもしれません。
 「そんな筈無いでしょ!」と言われた場合は萌えてください。あなたのお母さんは、ツンデレです。


 個人的には素直クールの方が好き。
 落ちがついてしまって色々と台無し。そして実は自分の為に必死で考えたレトリックだという事実。でも実際こう考えてみると世の中のお母様方、尊敬に値します。
 まあ実際、あの人が嫌いこの人が嫌い、では精神衛生上宜しくないですから。血が繋がった相手とは良かれ悪しかれ縁は切れないものですし。どうにかして好意を持てればそれが一番だと思うんですよ。
 今日の記事が変な宗教みたいなのは気にしないで下さい。自分で読んでも胡散臭かったけど、本当気にしないで。
posted by こがよしひさ at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月21日

原爆ネタで宴会?

韓国が外国貴賓を招いた会での事。
ビールの泡を見ながら『泡が原爆の煙のようだ。広島原子爆弾酒だ』と発言。
それを受けて盛り上がる韓国人達。
わざわざ別カメラを用意し日本大使の表情を撮影。
一人、険しい顔で屈辱に耐える駐韓大島日本大使。

http://www.youtube.com/watch?v=gX-JbBYkiZ8


いやいやいや、無理無理無理。本当ですかこれ。
日本語じゃないから理解できないのですけど「ヒロシマ」だけは聞き取れた。一番最後のほう。本当ですかこれ。ネタじゃなく?

 何度も言いますけど、あの、本当?

 もし本当なのだとしたら、これはきちんと抗議して欲しい。絶対に。こんなことをされても抗議できないのなら政府なんか要らない。ビタ一文だって税金払いたくない。
 で、これが嘘なら、韓国は国を挙げて抗議するべきだと思う。公の席でこんな発言をする国なんだと思われるのは国辱ものでしょう。

 つーかもう、本当なの嘘なのどっちなの……!
posted by こがよしひさ at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月31日

文科省GJ。


竹島、尖閣26カ所に意見 文科省の高校教科書検定

 文部科学省は29日、2007年度から使用される高校教科書の検定結果を公表した。地理歴史、公民では竹島と尖閣諸島の記述で、日本の領土であることが明確に分かるように政府見解に沿った記述を求めるなど、26カ所に検定意見が付いた。


 文部科学省もたまにはまともな事するんですね。最近政治家の方々を見てると日本を滅亡させる気なのかしらと思う事が多いのですがこれには期待。
 大体今まで教科書に載っていなかったのかよという驚きが強い。当然の事ながらかの国はこれに対して反発を示しているようですが、今回ばかりはどんどん騒いでいただきたいです。
 騒いでごねて、国際法廷じゃなきゃどうしようもないという状況に自ら追い込まれれば良い。というか、まともに筋を通すならさくさく法廷で決着付ければ良いのですよね。のらりくらりとそれをかわしながら文句を言い続けるってのは疚しいからじゃないだろうか。
 他国に勝手に侵入して武装して、「此処はウチの国の領土なんですからね!」ってそらあなた、無理でしょ…。日本が相手じゃなかったら武力戦争になってもおかしくないよ。
 だのに経済制裁すらしないで貢ぎまくり「ビザの免除とかどうでしょう」なんてやってんだから日本て国はどうかしている。
 こういう問題はもっと大々的にニュースなり何なりで取り上げていただきたいものです。兎に角文科省、譲歩なんかしないで頑張ってください。

 自分の国の教科書を普通に発行するだけで頑張らなくちゃいけないのもおかしな話だ。
posted by こがよしひさ at 19:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月27日

タイムリー

 先日の嫌韓流、弟が出資してくれたので二冊とも読みました。ネットでのレビュー通り目新しい情報はあんまりなかったし、ちょっとデフォルメが過ぎた部分もありましたがその辺を差し引けば面白い本だと思います。
 漫画で説明はしているけどネームが多いから文字読むの嫌いな人にはちょっと辛いかも。まあそれでも本よりはかなりマシです。図書館でも何でも良いからちょっと読んでみる事をお勧めします。
 どうやら全く別ベクトルの嫌日流という本も出版される(されてる?)らしいので両方読んでも面白いかな。
 ただまあやっぱり自分は日本人ですから日本びいきで読んじゃいますね。其れは仕方ない。逆に、自分の生まれ育った国を貶めて満足することの方が不健全。悪い事は悪いと認めるべきだけど、悪くないことまで押し切られて認めるのはちょっと違うよな。
 このブログでは何度も書いていますが、他国の言いなりになっているのでは独立国とは認められないです。自国を卑下し、他国に都合の良い反応や態度しか取れないのならば日本はもう独立国でも何でもない。
 とか何とかもやもやして居たんですけど何かこんな記事見つけた。小泉さんタイムリー過ぎます。

http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20060328k0000m010087000c.html

 本当だな? 絶対だな? また周囲に反対されてずるずる延期したりとか中止したりとかないよな? 絶対だな?
 何だかんだで終戦記念日の参拝はしていなかったりするので疑心暗鬼。でもこの記事の発言は本当だと思うよ。今のままでは不良にカツアゲされ続ける金持ちのもやしっ子ですから。なんならODAとか打ち切っちゃえば良いんじゃないの、と思う。
 相手は軍事力をちらつかせて我侭放題なんだから、日本だって唯一の武器であるお金で対抗したって宜しいんじゃないでしょうか。そもそも今の日本に反日に精を出して軍備増強する国に貢ぐ余裕はあるのかと。(本当ですよ。日本からぶんどったお金で反日教育して軍備増強してますよ)
 というかだよ。普通に日本を仮想敵国としている国がこんなに近くにあるんだからもう少し軍事力というものに注目すべきだと思うんだ。其れを行使するにせよしないにせよ。
 軍隊を持つとどうなるのか、逆に持たないままだとどうなるのか、よく考えてみるべきです。
 そういう部分も全部考え抜いて軍隊を持たない、あるいは持った方が良い、という結論に至ったなら今度は其れを一寸ずつでも発言していけば良いし。
 そういう形で自然に皆が色々考えるようになれば良いな。折角沢山の人が気軽に世界に向けて意見主張できるんだし。
 因みに我が家のすぐ近くには攻撃目標にされそうなところがあるのでもし戦争とかになったら戦々恐々です。巻き込まれない筈がありません。怖い怖い。

 何か長くなったので今日は此の辺で。自分でも吃驚するほど過激なことを書いていたので小心者な私は一部削除してみました。危ない危ない、読み返すって大切。
posted by こがよしひさ at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月25日

アナログチャレンジ。

 大分前の日記ですが、「私は本当にアナログが酷い。機会があったら是非一から十までアナログで作成したイラストをアップする」とか言っていたはずです。
 画材を引越しのどさくさで削除してしまったのでずっと機会がなかったのですが今日色鉛筆を購入しました。百円ショップで。
 百円ショップという所が如何にも私らしくて笑えます。其れは兎も角、色鉛筆買ったしスケッチブックとかもあるのでやってみます、描いてみます。色鉛筆だから大した壊滅っぷりは無いでしょうが、見劣りとか華の無さとかは痛感していただけるものと確信します。(駄目な子)
 色鉛筆は手軽なツールではあるのだけど、技術が伴わないとどうしても落書きっぽくなってしまうんだよな。その辺がちょっと素人向きではないと思う。
 なんにせよCGって飾れるし誤魔化せる。絵が上手い人は塗りだけなら集中して効果的に勉強できれば多分一週間位でそこそこ見栄えする絵が描けるんじゃないだろうか。(当然私はそこそこ見栄えする段階にたどり着くのに云年単位なわけですが。絵が上手くないんだから責めないでやって頂戴)
 しかし絵の具とかカラーインクとか、ああいうものよりはまだ色鉛筆の方が失敗は少ないですきっと。私ああいう水物は本当に、本当ーに駄目です。はみ出すむらになる混ざる濁る悲劇の連続です。
 色鉛筆はさー、一寸ずつちまちま薄ーく塗っていけば消しゴムで取り返しがつくもの。多分。取り返しがつくという事が私のような人間には重要なのです。だからペン入れも嫌いさ。取り返しがつかないからな。
 あ、トラウマばかりがおしよせて来た。駄目駄目。
 そういえば先日事務の仕事を手伝っていて、エクセル弄りながらノート記入やっていたんですけど、うっかり消しゴム滑らせてノートの方のデータを消しちゃったんですよね。
 で、直ぐに私がした事は、キーボードの操作(Ctrl+Z)でした。
 いやいや。無理だ。幾らパソコンでも現実世界の行動までは取り消しできないよ。あっはっはっは。殆ど無意識に「あ、今の取り消し」って思ったんですよね。出来ないよ。
 自分の思考回路に愕然としました。エクセルも同時に弄ってたから無理も無いのだが。
 最近絵を描く時もそんな感じで実は一寸戸惑っているのです。今の取り消し、とか、さっきの効果もう一回とか、パソコンなら簡単に出来ますからねえ。それに慣れちゃうとアナログの緊張感に耐え切れないよ。バックアップも取れないしな。

 と、まあ、そういう事をぼやきつつ頑張りますよ。しょっぼい絵が仕上がるのをにらにらしながらお待ち下さいませ。
posted by こがよしひさ at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月18日

取り返せないこと。

長くて重くてキツイよ、と言っておきます。

 ニュースなんかで殺人事件の報道があると、「最近多いよなあ」って思います。で、多いのは悲しいことですねえとも思います。凄く感銘を受けた言葉、うろ覚えのまま引用します。
「殺す人はね、100円ショップでカッターとか包丁とか買ってきて、其れで殺せちゃうでしょう? でも100円やるから生き返らせろって言われても私ら(お医者さんでした)は無理ですよ。100円どころか1億詰まれたって死人を生き返らせる事は出来ない。殺す時は100円なのにね。人殺しが良いか悪いかはさて置いて、その辺を考えてみて欲しいんですよね」
 まー実際は100円ところか自宅から刃物持ち出せば資金はゼロです。人を殺すのにお金はかからないけれど人を生き返らせることはどんなにお金を払っても出来ないんですな。当たり前なんだけど、生きている事と死んでいる事の距離は本当に、遠いなと。
 其れが玩具や機械なら違うのかもしれない。壊しちゃったから修理屋さんに持っていく。金額によっては諦めなくちゃいけない場合もあるけど、お金を払えば概ね直る。というか、全く新しい同じものを買う事だって出来る。
 生き物と道具の決定的な違いはこれです。其処に思い出が詰まっている場合は兎も角、物ならお金を積めば何とかなる。払えない金額だったら合掌するけどね。
 だから殺しちゃ駄目ですよというと途端にアレな文章になるので言いませんが、もう少し考えた方が良いと思うのね。
 泣いても叫んでも一生働き続けたお金を全額出しても、内臓うっぱらっても狂っても、取り返しがつかないものはつかないのよ。それは、本当は凄く大変な事だと思います。私はね。

 で、時事ネタをずらして書くポリシーの私が書きますけど、 滋賀の幼稚園児殺害事件、あれ、報道狂ってません? 一部のですけど。
 将来子供を産んで、其の子供がまた子供を産んで、其のまた子供が……って考えたら何十人も殺されたのと同じ位の重さがあるんですよ? 子供を殺すってそういうことだよ。まだ生まれてこない未来の何十人、何百人も同時に殺してしまうって事ですよ。
 育っていれば世界規模の発見、発明をして居たかもしれないし、他の人の命を救ったり、戦争を止める人物になったかもしれない。後世に残る偉大な芸術家になっていたかもしれない。(当然逆の可能性だって有るが)そういう未来が奪われるのは、大袈裟に言えば全人類の損失ですよ。
 大袈裟な事言いやがってこがの馬鹿めと思われるかもしれないけど、でもね、例えばの話ですけどペニシリンを発見した人が其れを見つける前に殺されていたら、人類にとってどの位の損失だったでしょう? 杉浦千畝が殺されていたら、どの位のユダヤ人が、ひいてはその子孫があえなく命を落としていたでしょう? レオナルドダヴィンチが子供の頃に殺されてしまっていたとしたら、人類はどの位多くの芸術品を失っていたでしょうか?
 勿論名も無き一般人として生きて死ぬ人の方が一般的です。でもそうじゃない可能性だって子供にはある。それを、殺すとは何事だコン畜生! 日本人だけでない、全世界の人類に対する挑戦ですか!
 で、其の犯人を捕まえて「周囲の気配りが足らないせいで追い詰められていった心境を考えると……」とか言っちゃうのはどうなのさ!
 子供を殺すという事がどの位重大な犯罪かを認識するべきですよテレビで発言するなら。
 あのね、中国人だという理由で差別されていた、精神的に追い詰められていた、言葉がわからないせいで馴染めなかった、というのはあくまで大人の都合じゃないですか。
 言葉が解らないなら覚えれば良い。日本に住んでるなら、必死でやって覚えられない事はないよ。毎日当番制で子供を送り迎えするという事はやっていたんでしょ、其の程度のコミュニケーションは取れてたって事ですよね。
 というか、差別してる相手の車に大切な子供を乗せたりしないと思うんだけどな、普通。
 精神不安定だったから仕方ないとか、周囲に追い詰められた彼女自身も被害者といえるとか、何なんでしょう。被害者は子供ですよ。それ以外にどんな解釈しろって言うんですか。
 それにそういう言い方って、本当に差別に負けないで頑張ってる人とか、言葉の壁を乗り越えようとして努力してる人にとって失礼じゃないですかね? せっかく違う国で頑張ってるのに同じ境遇の人があんな事件起して、「まー所詮外国人が日本に馴染むのは無理だし仕方ないよ」って言い方されたら傷付くと思うけども。
 差別しないでいようって過剰に思うとね、結局差別する事に繋がりますよ。ぐるっと回って一周しちゃうというか。差別はいけないけど、実生活に支障があるようなら(日常会話すら出来ないとか)区別は仕方ないじゃないか。
 全く日本語喋れないのに「同じお母さん同士で差別はいけないから、平等にしましょうね」って言って、PTA役員会議の司会とか任せられますか。無理だよ。
 単語やボディランゲージだけのコミュニケーションでも困らないような割り当てをするでしょ其の場合。文化の違いだって、お互い譲れない事もあるだろうし衝突するのは仕方ない。
 外国で暮らすってそういうことだと思うんですけど。其れを乗り越えて友達作る人とか、その国の人以上に馴染んじゃう人とか、一杯いるのになあ。

 これだからあの国の人間は! とかって怒るつもりは無いんですよ、別に。そういう括り方こそいけないことですしね、多分。あえて言うならこれだから差別に過剰反応の考えなしテレビは! って所でしょうか。
 とにかく子供だけは殺しちゃいかんよマジで。(別に老人ならってワケじゃないんですがね)予告どおり長くて重くてキツイ感じでした。こういう記事久し振りだなそういえば。
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2006年01月23日

ちょっと難しい話題を。

 昨日のメッセで面白い話題が出て、調べてみたら知らなかった事実が出てきたので此処に覚書みたいな感じで書いてみます。つか、感想文って言うか。拒絶反応が起きる方も居ると思います。苦手だったり不愉快になってきたらサヨナラした方が良いかもしれません。

 太平洋戦争(第二次世界大戦の方が通りが良いかな)でのABC級戦犯について。彼らは靖国神社に合祀されており、其の為に総理の参拝などが問題になっています。分祀すれば良い、という声も良く聞きますが一寸待って。
 本当に、ABC級戦犯って居るんですか?
 はい、こががまた頓珍漢な事を言い出した、とか言わないで下さい。こがは以前どっかの掲示板で(2ちゃんじゃなかった事くらいしか覚えてないんですが)「日本の戦犯は既に国際的に免責されている。従って、あの戦争の戦犯は少なくとも日本には居ない」とか何とか言う記述を見たんです。
 さて本当か?と。もしもそうなら某三国の言葉や合祀が問題だ云々の言葉は全くナンセンスではないのか。調べてみました。ネットって超便利☆
 本当でした。サンフランシスコ条約11条には戦犯についての判決が書かれていますが、此れは何処か一国だけのものではなく、調印した世界各国において認められたものであります。
 詳しい事は調べきんなかったのですが、昭和28年10月までに全戦犯の赦免を連合国側に要求、其れが認められています。つまり調印11ヶ国において日本の戦犯は赦免されており、合祀が云々はやっぱ無意味。
 この赦免を認めない、という場合はそもそもサンフランシスコ条約を認めないということですから今度は戦犯であるとは認定できない。戦犯を戦犯として責めるならばサンフランシスコ条約を認めねばならず、認めたのであればその赦免もまた認めなくてはならない。
 要は、やっぱりABC戦犯をその戦犯だという理由で責める事は出来ないってこと。此処に原文を見つけたのでペタリしてみます。私には訳せないので詳しい方、自力で読んでください。

Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan,and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan.


 戦争を起した、ということの責任を問うのであればちょっと小気味良い問答があったらしいのでまた引用いたします。長いかも。

昭和陸軍が生んだ最大の天才(戦略家)といわれた石原莞爾が、終戦後、持病の悪化で東京の逓信病院に入院していたとき、東京裁判のため来日していた連合国の検事に尋問を受けたことがあった。
 そのとき検事(アメリカ人)が「戦争犯罪人(いわゆる「戦犯」)のなかで、いったい、だれが第一級と思うか」と訊ねた。それに対して石原は「トルーマン(当時のアメリカ大統領)」と答えた。
 石原は、その理由として、トルーマンが国際法の規定を無視して、一般市民、つまり非戦闘員の無差別大量虐殺(広島・長崎の原爆投下を含め100万人近くの市民を殺した)を行わせた点をあげた。そして「このトルーマン大統領の行為こそ戦犯第一級のそのまた第一級に価するもの」として、連合国検事に、彼を戦争犯罪人として告発したのである。

 ついで検事が「日本の戦争責任は、日清・日露戦争までさかのぼる」と述べたとき、石原は「それならペリーをよんでこい」といった。無学な検事はペリーの名を知らず「ペリーとはだれだ?」と反問した。
 石原は検事に次のように教えた。すなわち、ペリーは鎖国政策のもと300年間、他国に一切迷惑をかけず平和に生活していた日本に、黒船(艦隊)を率いて開国を迫った人物である。
 日本(江戸幕府)は、その艦隊の脅迫でやむをえず開国し、君らの国と外交関係をもったところ、君らの国が例外なく侵略主義や帝国主義の恐ろしい国々であることが分かった。そこで日本も、植民地化を免れる(生き残る)ため、やむおえず君らの侵略主義や帝国主義を学ばざるをえなかった。
 したがって、太平洋戦争の戦争責任が、もし日清・日露戦争にまでさかのぼるとすれば、日本を武力(艦隊)で脅迫して開国させ、かつ侵略主義・帝国主義を教育した元凶であるアメリカの水帥提督ペリーを承認として喚問せよ・・・。
 このように述べて、彼は勝利者側からの、いわゆる戦犯や戦争責任の追及のナンセンスさを皮肉り、検事をグーの音も出ないほどやりこめたのである。


 ちょと書き手さんの感想も混じっているように見受けられますが、解りやすい問答であると思います。少し足すと、石原さんは軍人としての自分の責任も重大に受け止めていたらしいですから、もしもこの検事がもっと平等な尋ね方をしていたらこんな答えは返さなかったと思われます。
 例えば、「今回の戦争が起きた原因のうち、日本に責任があるとすればどのような点であるか?」と。私はこの質問の答えも知りたいですね。
 日本の責任のみで戦争が起きたのだと思っている方は、「ハルノート」で検索かけてください。あと脱線しますが「パル判事」もしくは「パール判事」で。(判事を検事と間違えて書いてた……!判事!判事です!検索して見付かんなかった方、ごぬんなさい/謝る気無いだろ)

 この手の話題はどうも、偏った感想のみで書かれているものが多くて困ります。途中まで「そうなんだあ〜」と思って読んでいても、最後の数行で「だからあの戦争は○○だったんだ!」とかね、こう、主観の強い感想が入っているとどうも、信用しにくくなります。
 両方の意見を聞いていても「んで結局どっちが本当なのさ?」って話しだし。取りあえず調べてみる事ですね。侵略戦争という言葉だけは拒絶反応、と、私個人の感想を以下に述べておきます。勿論私個人の感想を読み手の皆様が受け入れる必要は全くありません。私の知らない資料を読んだ方には、其の方なりの考え方と論拠があるのですから。

 当時の思惑はどうあれ、日本は白人支配の土地に赴き「教育」を与えました。与えたという言い方は上からのようで厭ですが。当然、間違った事も沢山したでしょう。でも、教育をしたのです。これは誰に何を言われても恥じる事無く主張して良い事実だと思うのです。
 植民地時代、アジア各国の国民は教育など受けさせてもらえなかった。搾取される生活だけだった。日本は力で其の国に押し入ったかもしれない。罪の無い人も殺しただろう。でも、教育をした。文字を読むこと、書くこと、何かを作ること、有色人種でも白人に勝てることを示した。搾取される生活からの脱却の可能性を示した。
 有色人種でも白人に勝てる、この事実はアジアだけでなくアフリカの人達をも解放に導いたといわれます。まだまだ差別や偏見は根強いですけどね。何百年もかかって培われた差別です。根気良くなくしていくしかありません。
 だから、侵略戦争と呼んで欲しくはない。侵略するつもりならば教育などしなかった。私はそう思うのです。
 広島か、長崎の公園に(どっちか忘れちった。ごめんなさい)「過ちは繰り返しません」という文字が刻まれています。この文字を見て「日本人の魂は此処まで損なわれてしまったのか」と深い落胆を示した方が居たそうな。
 そうです。
 過ちを犯したから、原爆は落とされたのか? 原爆を落とされるほどの過ちを、日本人は犯していたのか? 原爆が落とされた国が、その事に対して自分の責任のみを嘆くのか?
 日常で考えましょうよ。レイプされた女性が、「もう一人で夜道を歩くなんて過ちは繰り返さないから、これからは安心してね」と、両親に言いますか? 悪いのは、夜道を一人で歩いた彼女ですか。レイプした人じゃないんですか。
 戦争は当然どちらか一方の責任では起こりませんから、原爆の投下にしたって日本にも責任の一端はあるでしょう。でも、それを「過ちは繰り返しません」という言葉で刻むのはどうなの。其れはつまり被爆してなくなった、今も苦しんでいる人達にも「当時の日本国民として原爆で殺される責任があった。彼らもまた過ちを犯している一人だった」という事ではありませんか。

 私ならそんな言葉を投げつけられて穏やかになんか眠れない。

 八月のテレビの特番で思って、あの時は書かなかったことを書こうと思います。原爆投下の瞬間、成功に湧いたアメリカの人達。彼らの頭には「ジャップ、黄色い猿がどれだけ苦しんで死のうと関係ない。楯突いたのが悪い」という意識があったんじゃないか。欠片のように小さくとも、その考えがあったんじゃないか。そうとしか思えない。街ひとつ滅ぶ爆弾を落として抱き合い、喜んだというんだもの。

 やっぱり感想書いたら感情的になっちった。仕方ない。まだ百年経ってないんですもんね。でも、その百年経ってない今だからこそまだサルベージ出来る真実が隠されてると思う。色々とね。百年後には失われて、二度と蘇らないだろう事柄。もうちょっと真剣に調べても良いのじゃないかと思った。
 国家間の問題は大きいとしても。

 所でこういう話をして居たメッセですけど当然のように「彼は絶対周りの精気吸い取ってますよ」とか「でも初々しい方が萌える!」とか言ってました。こんな人間で御免なさい。つかこの話題と萌えが平気で両立できる自分が一寸好きだ。
posted by こがよしひさ at 17:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月20日

殺りん考

 某様宅にてキャラ語りをしたのでついでにわんわんの方も語っておこうかなと。(わんわんて…)

 原作の方は今祭りで大変な騒ぎですが(主に殺りん業界において)、それと共に懸念されるのは「やっべーもしかしてオフィシャルでは殺神かよ!」という事ですね。ああ問題だ問題だ。
 って言って、私はあまり心配していないのですけれども。何でだって言われるとこう、理屈じゃ説明出来ないんですけど…。なんつーの?もう、「本能」?としか言えない?みたいな?(馬鹿が居るよ)いやもう本気で!マジで!!
 殺りんの確定にどんな理屈が居るのだろう、あれは見ただけで、見た瞬間に「光源氏計画」ではないか。本能じゃなければ必然とか運命とかもう何でもいいよ。理屈じゃないんだよ。(本当に病気だね)
 ってばかりだと話が繋がりませんので。一応考えてるっぽいことかきます。勿論脳内妄想が九割です。信じちゃ駄目よ☆

 殺にとってのりんの存在って、今の時点ではまだ恋じゃないと思うです。しかしながら父親、というのでは絶対無い。ただ単に「庇護下に居る者」に過ぎないのではないかしら。はっきりした理由は無いんだけど彼女は「味方」なんですね。うん、味方、と言うのが一番しっくり来るかな。
 最初の出会いの段階で、りんは殺を見て逃げたりしなかったし攻撃もしなかった。恐怖も敵意も無かった。ただ対等に、「手当て」をしようとしたのですよね。
 殺の中で対人関係のカテゴリって、「敵」「下僕」「味方」「その他(でなければ下等生物でも空気でも障害物でも何でも良いや)」の四つだと思われる。お父様とかは別格としておいといて。
 敵カテゴリに入るのは自分に喧嘩売ってきた奴。下僕は、下僕としか言えないな。その他に入るのが一番一般的で、その他の存在については生きようが死のうが殺そうが関係無い。そして味方というのがいまりんが居るカテゴリ。
 力関係では勿論殺が上なわけですが、そういう意味ではなくて存在として対等、というか。上手く言えないなぁ。二人の関係は今端から見たら主従関係っぽいですが、実は殺的には結構対等なんじゃないかと思われ。今はまだりんにも特別な自我は無いし(幼児のうちの自我って自分よりも環境に依存してる気がする、いや自我が無いというのではなくてね)殺がりんに道を示すことの方が圧倒的なわけですが。
 ただこの先りんがどんどん成長して、本当の意味で精神的に自立して、二人の関係が真実対等になったら、そしたら恋が出来ると思う。
 今はまだ殺がりんに何かを求めるほどりんが育っていないですが、それでも殺はりんのことは「信じてる」と思う。味方だしね。だから殺はりんを守るし面倒見るし(具体的には邪見が…)傍に居る。
 人間じゃないから面倒なしがらみを捨てて信じる事が出来る。りんの方も子供独特の世界観で殺を見ている。今のりんにとっては殺が神様。子供の頃親とか学校が世界の全てだったみたいに、今のりんには殺が全てなのですね。勿論心の底から信じてる。
 これもやはり彼女が成長するにつれて殺の不完全な所とか、駄目駄目な部分を知っていくことになるんだろうけど、その時初めて殺に恋愛感情を抱けるのだと思う。だってぶっちゃけ神様や世界は自分よりも圧倒的に上の存在なのであって、遠すぎるもの。触れるかもしれないけど恋は出来ないだろう。憧れる事は出来ても、恋はねぇ。
 自分と相手の本当の姿や関係が見えないとちゃんとした恋は出来ないだろうから…。
 でもとにかく二人の間には何物にも変えがたい「信頼」があるのですよ。神楽には悪いけど割り込めない。無理。理屈じゃないの。(まだ言ってますよ)

 私的には二人の関係はこんな感じです。支離滅裂っぽいな…。とにかくりんが成長してからですな。話はそれからです。その代わり成長したらもうでろでろのどろどろに殺→りんって感じでお願いします。
 私個人は束縛されるの反吐が出るほど嫌いですが、(其処まで言うか)見ている分には独占欲支配欲丸出しの熱烈溺愛カップルが萌えです。ぶっちゃけりんが下男と話しただけで嫉妬に狂う殺とかたまんない。言いがかりみたいな理由で不機嫌になるの。
 もうりんに触って良いのは自分だけ!みたいな。正直侍女にすら嫉妬しそうな勢いで。うわーうぜぇぇぇぇええ!!!(爆笑)しかし萌え!!!!
 本当にね、今まだりんりんが子供だから奈落とか普通にしてますけどこれ、りんが成長してから誘拐でもされたら殺は己の全てをかけて敵をぶち殺しますね。(妄想一直線)

 誰か嫉妬深い殺りんとか書いてくれないかな。(自分で書け)言うだけならタダだもん…!!!
posted by こがよしひさ at 19:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月05日

ほとぼりが冷めた頃に。

 反日デモがどうのこうのと騒がれていた時期からちょいと外して感想なり何なりを書く。其れが私のやり方。いや絵日記の方でも言ったけどね、だからさ、問題というか話題がある程度旬で其れに注目している人が多い時に下らない意見を書いて「またあそこの管理人は…」とか思われるのは厭だな、と。
 それだったらちょっと外した時期に書いて「今頃何書いてるの」とスルーして欲しいわけですよ。おっと最初から手の内を明かしてしまったぜ。まーこのカテゴリの記事はぶっちゃけ意見でも何でもないまとまりのない思考で御座いますので。其処から何か産まれるかもしれないし、何も生まれないかも知れない。

 反日デモのニュースを見ていると、若い人達が楽しんでやっているようだ、という印象を受けましたね。本当なのかしら?取り敢えず集団になって何かを侮辱したり傷付けたりするのは楽しいことなんだろうな、というのは理解できる。
 正義は我にありという錯覚を覚えるのも気分が良いだろう。
 ただ私が何かを見るときに重要視する要素の中には「品」があって、今回のデモには其れが無かったな、と思う。真剣な訴えかけをするのにへらへらした笑顔は要らないし、「楽しさ」も必要ない。
 「楽しい」と思って大勢で誰かを、または何かを攻撃するのは品が無い事だと思う。今回は石やら火炎瓶やらの攻撃性の高いものは使われなかったと聞くが其れも勘繰れば「お遊びの範疇を超えたら白けるから」という姑息な考えが見える気がする。勘繰ってるだけですが。
 文句があるなら(いやあるからデモしてんでしょうが)言葉で表現すれば良いと思う。何かを叫びながら通りを行進するだけだって真剣にやっていれば何かは伝わるし、野蛮な行為に及ばずとも効果はある。
 中国人の乗った日本車を破壊する事の何処に主張や信念があるのか理解出来ない。ただひたすら「野蛮」で「粗野」であると思うだけだ。
 さらに言えば面白半分の民衆が通りにある建物なり何なりを破壊するのはナチスの水晶の夜を髣髴とさせる。いえいえ、あくまで個人的な印象ですがね。
 其れと共に日本の中国大使館だのに嫌がらせをしたという輩にも同じような感想を抱きます。すなわち「品が無いことをするなぁ」と。相手の行動を咎める時自分が同じレヴェルに落ちては意味が無い。

 所でアメリカで原爆の資料館だか何だかができて(ずいぶん前からあったのか?)きのこ雲をあしらったグッズが販売されていたり核実験の映像を見られたりするらしいですが、その時に感じたもやもやが中国の人が日本の歴史問題を考える時に抱く感情なのだろうな、と思った。
 十歳くらいの男の子が「原爆格好良い」とコメントしていたが、彼を日本の長崎と広島の原爆資料館に連れて行きたいと思った。こういうものを使っていた人達、これを着ていた人達が殺されたんだよ、川には何百という死体が浮かんだはずなんだよ、って。
 核が外交上、または物理的軍事上安全のために役に立つと同資料館のスタッフが言っていたけどやっぱりもやもやが残ります。少なくとも小学生に変な誤解だのイメージだのを植え付けないように、将来彼らが公平に色々判断できるように、原爆が奪った日本の町の事をきちんと紹介してほしい。
 中国の人達も日本人に対しては同じように思ってるんでしょうね。世界共通の教科書でも作れば宜しいと思うのだが。どうだろ。
 南京大虐殺だのパールハーバーだの原爆だの、きっと有意義な教科書になることだろうに。いや、嫌味ではなく純粋にね。大人になってから自分で調べないと本当の姿が見えないなんて、性教育のほうがよっぽど進んでる。どうして国が違うといがみ合うことになるのか、子供のうちから考えさせるべきだと思うんだが。

 由無しごとでした。
posted by こがよしひさ at 14:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月15日

創作活動。

 メッセでちらりとお話したもので。
 私は絵を描くときは其の背景にあるお話を殆ど考えていない。事が多い。他の方はどうか解らないのですが、大概の場合「メイド服が描きたい」「胸が描きたい」「こういうポーズが描きたい」と思って描くので極めて局所的な見方をしています。
 逆にお話を書く場合は浮かんだ場面を書くのではあるけど其の中には感情があって、また其の感情が流れる時間があって、其れが書きたいと思って書いている。
 だから小説を書くのは何時も大変です。キャラがどんな気持ちで何を言うのか、其れが固まらないと書けないから。オリジナルはまあ自分が産んだ子供みたいなモンですから比較的楽なのですけどね。二次はそうはいかない。結構しんどいです。
 ただ、神様がしっかり作り上げてくれた気楽さはあるんですよね。既に其の作品を好きな人が居て、そういう人がほぼ無条件に読んでくれる。楽は楽です。
 オリジナルってのは本当に自分の力だけで読者を獲得しないといけないわけですから、その辺はやっぱり大変だなあと。
 こういうと何ですが私は自分の文章に癖があるのを知っているので、拒絶反応を示されたらまあ其れは仕方ないなと思いつつやってます。逆に言えば其処を気に入ってくれる人が居るかもしれないし。居ないかも知れないんだけど。
 絵についても同じですが。
 だからどんなに考えても結局は書きたいものを書きたいように書くしかないって事で。

 其れとは別に性的表現や残酷表現についての気遣いもありますよね。二つとも苦手な人は多いし、子供に見せて良いものじゃないと思うから。
 ただ此の辺は私のサイト運営方針と微妙にかち合わなくて、つまりネット上に載せてる以上どんな立場のどんな人間が見たって問題ないはずである、という事ね。
 勿論所為表現を含む色んなものはそれには当て嵌まらない筈なのですがただね〜……。規制のあるものを作るって言うのがちょっと苦手なのですよ。年齢はある程度の目安にはなるけどそれが全てじゃないし……。働いている、いないも大きな違いになると思うし。
 親元を離れているか、いないかって言うのもね。責任の所在とかいろんな事に対する真剣さとかがそういう環境で違ってくるし、真剣に規制を敷くならその辺を考慮したい。しかしながら一々メールでって言うのもどうも肌に合わない。見たいときに直ぐ見られるのがネットの利点だと思うから。
 でもそれじゃあ希望しない人が見ちゃうかもしれないし……と堂々巡り。一寸した数学問題の答えをパスワードにしている人もいるんですが(明らかな低年齢層を弾く為)申し訳ない、私本気で数学は算数時代から駄目なんですよ……。そういうのを経験してるから問題を解いてね系も使えないし。
 とするとやっぱ注意文を書いて「自由に閲覧して良いけど責任は私じゃなくて貴方にあるんですよ」式にやるしかない。些かの不安はあるけど、まあ仕方ないやね。
 其の場合に問題なのはやっぱ検索で注意文をぶっ飛ばして入ってきちゃう人なんですが、その辺は注意文へのリンクをわかり易くつける事で回避、かなぁ……。もしくは.htaccessを出動させるか。でも面倒臭いのは嫌いです。(最悪)
 何だってこんな真剣に悩んでいるかと申しますれば次回のオリジ作品は思いっきり全面的に性表現がある上にグロさぶっちぎり拷問シーンもあるよ☆(ぽろりもあるよ、みたいな)って奴だからですよ。16禁どころか18か20禁位にしたい。
 これは大昔一度書いたときに「読んでて気持ち悪くなった」と友人に言われたほどのものでして。全体としてはまあ何とか恋愛小説なはずなんだけどカップリングが複雑で(男女入り乱れ)何がなんだか解らんという。
 でもねー。そういうシーンも(や、私のは過剰なんですが、自覚してますが)完璧に省いたら真面目につまらなくなっちゃうし。綺麗な部分だけで構成されるお話なんか童話だけでお腹一杯ですよ。や、解ってますまた危ない発言をしているってのは理解できます。
 勿論優しい可愛らしいお話も凄く面白いし、上手に書きこなす人もいます。ただ私に限って言えば其れだと薄っぺらい事ばかりになってしまうのです。私に力量が無いからなんですがね。
 手っ取り早く感情を増幅させる為に濡れ場なりグロさなりがあるわけで。幸福とは縁の無いような辛い話にばかり興が乗るのはもう書き手としての性質なんだろうなぁ……。可愛いお話だって書きたいさ。ふん。でも書けないのさ。
 んで色々と話題が固定しないで飛びまくっておりますが、オリジナルどうしようって事で。どうしよう。(知らんがな)
posted by こがよしひさ at 02:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月03日

サイト作成あれこれ。

 つって別に技術の事を論じるつもりは全くもって御座いませんが。

 ウチのサイトって、解像度とかウィンドウサイズとか全然指定してないよな、と自分では思っていたりしましたが、最近ちょっと違うのだろうかと気付き始める。(遅いよ馬鹿)
 どのサイズにしても(常識の範囲でね。携帯画面のサイズにされたら流石にキツイ)メニューが見えないとか文章が読めないとか、そんな事は無い(だろうと思われる)のでね。
 でもその辺をちょろちょろ読み漁っていると「解像度○○推奨」の意味は、「閲覧できなくなるよ」ではなく、「デザイン崩れるよ」なのだと思わされる。しかしながらフォトショを起動していたり別のサイトを見ていたりメール書いてたりはたまた小説書いてたりするとフルウィンドウなんてやってらんない。(私は推奨サイズを遵守する事は無い。あちらさんの推奨サイズがたまたま私の環境と被っていたら幸運という程度)
 文章読めなくなったりするならまぁ、ウィンドウサイズ変えますがね。ぶつぶつ言いながら。以前スタイルシートで文章部分を(多分)30%位に指定していたサイトがあったのですよね。私が普段使用しているようなミニマムなウィンドウサイズだともう本当、携帯電話ですか、って感じで改行されちゃって読み難いったらありゃしなかった。あれは、フルウィンドウじゃないと無理だ。しかし悔しかったので(何)CSS無効で読んでやった。
 文章読めないに焦点行っちゃいましたが。
 まあそういう事でして、多少素っ頓狂な所で改行が入ろうが背景画像が変な所で切れようが構うもんかと思っていましたし、「取り合えずどのウィンドウサイズでも対応出来てるだろ」と思っておりました。
 が、久しぶりにフルウィンドウで自サイトを見てみたらなんつーか、みっともないなあ、って感じで……。いや、感じっつーか、みっともなかったさ。
 sinceが入ってるフッター、小さいウィンドウの時は気が付かなかったけど本文が短い時はかなり上のほうに来てて、みっともないねぇ。
 ま〜別に本文が読めないわけじゃ無いから良いんですが……。あと小説とかはあれだな、素っ気無さ過ぎてつまらない感じですな。詰まらないっつーか、うーん、単調?とも違うな、うーん……。
 兎に角ですね、「う〜わぁ駄目駄目やな」と思った次第。まぁ別にウィンドウ小さくたって良いデザインじゃないですけどね。
 このサイトで一番凝ったデザインしていたのは去年の十月ごろかな。コの字型のサイトデザインの頃。
 しかしあれはあれで私の中で不評。先ずサイズ決め打ちだったからウィンドウ小さくすると横スクロール出たし、小説は兎も角絵は全体表示出来ない事があった。最悪。
 絵日記の方でも述べている通り擬似クラスの使い方すらうろ覚えなので「こうしたいな〜」と思ったって実現にはかなり努力が必要であり、また「こうしたいな〜」のデザイン自体全く持って凡百の素人まっしぐら。
 素敵なサイトデザインを見ると「良いな〜」と思います。
 機能美と造形美が上手く折り合っている所なんかそうそう見かけませんけどね。

 つかぶっちゃけ、模様替えがしたいってお話ですよ。長くなる上に思考メインの話題だったから雑記に書いてるけど日記なんだわ。
 前職の所為か時々私が作るペーパーだのバナーだのサイトデザインだのに過剰な期待をする人が居たりするのですがあのなー、解ってないだろう。
 私は天才型ではなく努力型であり、しかも落ち零れの努力型なのですよ。商業で使うようなバナーだの広告だの其の他だのはもう血反吐を吐く思いで悩みに悩みまくり神経をすり減らし強迫神経症寸前の精神状態で作るものであるのよ。
 其処までやってやっとこさ何とかかんとか辛うじてマシなものが作れるわけです。(自己卑下でも何でもなく事実として)趣味のサイトでまでそんな事 や っ て ら れ る か 。
 勘弁してくれ……。とは言っても商業系のものは素材に助けられる所も多いし実際にこのサイトでそんなモン作ってみろといわれたら素材が悪くて無理でしょうね。素材から自分で作るんだもの。無理無理。はっはっは。(駄目な子……)
posted by こがよしひさ at 03:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月24日

セックスを売り物にする事。

 一日でニ連発。

 実際隠すような事でも無いから隠しませんが(言いふらす事でもないけどね)過去一年ちょっと身体を売って生活して居た私は、「男性の欲求は金になるもんですなあ」と思ったりしていました。
 其れは兎も角男の人ってのは女に夢見すぎじゃないでしょうか。(何を突然)
 うーん、そういう商売をして居た時、何度かすげぇ同情された事があったのですよね。私の歳が若かったからか何だか知りませんが……(単に暗かったのかもね。余計なお世話)辛かろう苦しかろう、という風に思ってるっぽい人も居た。
 で、実際援助交際とか色々言われている現状の中で、身体を売って生活するってのがどういう事なのか考えてみようかなと。思ったり。
 しかしながら私はAセクシャルでありますゆえ普通の女性とは感じ方が違うかもしれないです。その辺は、いつもの事なのでスルーしてくれ。

 過去のお客さんにも言える事だが、借金のかたに無理矢理大門に閉じ込められてるとか思ってる人が未だに居るらしい。大昔の吉原じゃあるまいし、無いって。そんな事。
 や、居るのかも知れんが私は違った。そして同じお店のお姐さん達も比較的明るく楽しく仕事をして居た。
 お客さんが付いていない時はテレビ見たり本読んだり或いは眠っていたり、好き勝手に過ごせていたし、其れで居て一日に何万も稼げるんだから暗くなる要素は無いよね。(最近は不況でお客さん少ないからお茶を引く事もある)
 勿論エイズや肝炎など命に関わる病気の危険はある。しかし其れも覚悟さえ決めちまえば吹っ切れる問題で、(当然実際観戦したら取り乱したりもするんだろうけど)病院行ったり薬飲んだり気も配っていたしね。
 何度か通ってくれる気心知れたお客さんが出来れば仕事というよりは遊んでるような感じになったりして其れはそれで楽しい。よくナポレオンを差し入れしてくれたお客さん有り難う。美味しかったずら。
 普通の仕事をするよりも効率的に稼げる、という意味で風俗にいついてしまう人だって少なくは無いと思われる。いやね、本当、普通の仕事するのが馬鹿馬鹿しくなっちゃうのよね。コンビニで一日中突っ立って幾ら稼げるでしょう?精々一万かそこらじゃないですかね。
 頑張ってお客さんこなせれば可愛い人なら幾ら稼げるか。比べるのも馬鹿馬鹿しい。
 勿論初対面の脂ぎったおじさんと笑顔でセックス出来るかどうかがこの仕事のキモなわけですが、出来る人は出来ますからね。出来ない人は出来ないで良いと思うし。
 子供を女手一つで育てる為に、って人も居て、お客さんは「可哀相だよねぇ大変だよねぇ」と言っていましたが其れにしたってその人本人が選んだ道なのだし同情する必要は無いと思うよ。
 何千万もの借金背負っているわけじゃなし、普通の仕事で絶対無理って事は無いと思うんだよね。勿論私立の学校に行かせたり、高い服を買ってあげたり、お小遣いに不自由させないですむ、ってのは難しいと思いますよ?朝から晩まで働いて、一緒の時間を過ごせなくなるかもしれない。
 でも、逆に言えば公立の学校だけで済ませて生活水準を落とせば普通の仕事で何とかなるって事でもある。其れをしないで風俗に来るのは、生活水準を落としたく無いから、効率良く稼ぎたいからって事だと思う。
 自分の身体と生活と、天秤にかけた時にどちらの秤が傾いたかの違いだから別に風俗で働いてるからって可哀相だとか思う必要はなし。大変だとは思うけどね。普通に働いてる人も大変だと思うさ。
 子供が居なくても話は同じ事で、結局身体を売っている人は生活とか、お金が乗っかってる天秤が落ちた人なんだと思う。割り切ってやれば報酬はたっぷりもらえる仕事なんだし満足なんじゃないでしょうか。(人によるってのは大前提だ)
 大昔にはもっと、自分の身体の方が大事だって人が多かったんだろうな。最近はお金の価値が上がっているのか身体の価値が下がっているのか……。
 結局金銭のやり取りが発生する以上、其処には「割り切った」感情しか無いのだと思う。勿論女子高生の援助交際なんかだと話はまた複雑なんですが……。
 女性に生まれ付いて、金を払ってでも突っ込みたいと思う男が居る以上職業の選択肢が広がるのは悪いことじゃない(と思う)し、それらについて責任がもてるなら(何度も言うが命に関わる病気も有ります)身体を売るのも責められるべきじゃない。
 願わくば責任感の無いセミプロのお嬢さんが減ってくれますように、だ。素人とやってるお客さんからだと思うんだよな、病気って……。(かつて控え室で盛り上がった愚痴)

 因みに風俗其の他を推奨はしてないよ。やっぱ生活乱れるしやらないに越した事は無い。絶対向いてないような人も居るし。職業に貴賎は無いけど世間体はあるからね。

 最近突っつかれそうな記事を書くのが逆に楽しくなってきた。末期。
posted by こがよしひさ at 00:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月23日

愛と勇気と少しのお金。

 ジェネジャンを観ていて思った事。

 お金の大切さとかまあ色々と個人によって価値観があるわけですが。タイトルはチャップリンの言葉。だったはず。人生に必要なもの、大切なものは?という質問への答えだったと思う。うろ覚えだけど。
 とっても良い答えだと思う。愛と勇気と少しのお金。お金は外せません。勇気は、私の場合ピンとこないんですけどでも大切かなって思う。愛ってのもね、壮大な言葉だけど此処は一つ「萌え」と置き換えてみよう。た い せ つ !
 まあ冗談はさて置き。

 お金は大事だと思いますよ。実際今の日本でお金が無かったらまともな生活出来ませんからね。正直今までの短い人生の中で裕福だった記憶なんかとんとありませんから、其の分固執している所はある気がしますが。(しかし他人に何かを振舞うのは好きだというわけ解らん気質)
 高校もどっちかというと自分のバイト代で通っていた気がするな。自分で働いてお金を稼げる、というのは学生の人には解らないかもしれないけど、本当に凄いことなんですよ。大切な事だよ。
 お金の掛かる趣味は持っていませんがそれでも完璧に金を使わないということではないしねぇ。
 明日のご飯も無い、家賃も払えない、どうしよう。つーか腹減った畜生。
 とかね、若さといっても良いけどそういう経験があるとそりゃあ「ああお金は無いと駄目なんだな」って、身に沁みるですよ。特に私はいざという時転がり込める友達や恋人が居るわけでも無し、食料カンパしてくれる人が居るわけでなし、親とは絶望的に仲悪いですからね。いや、実際親はね、私が一方的に嫌ってんですが。
 頼れる人、信頼できる人が居ないわけじゃない。「助けて」って言えば苦笑いしつつも助けてくれそうな人はいる。でもね、私の性格的にそういうの、厭なんです。だから対価を支払える関係を探しちゃうんだろうな。助けてが言えない人間も居る。其れは誰が悪いわけじゃなくまあ、性質とか性格であるので周囲の人間は諦めて見守ってくれ。
 しかしながらそういう苦しい思いをしてもお金が全てかって訊かれれば違う、と答えます。まあ、「有るに越した事は無いもの」って程度かな。
 いやそうとも言えないかも知れん。ほら、金に喰われる人が、居るじゃないですか。お金っていうのは怖いものだと思う。有ったら有ったで問題。
 其れが無ければ生きていくことも出来ないくせに、大量に持っていると狂わされる。なんか、おかしくなっちゃうんだよな。
 生まれ育った環境とかもあるでしょうけど、自分の意思だけで動かせる金が多くなればなるほど「器」が大事になると思うですよ。
 だから、器の小さい、育ちきっていない若い間はでかい金を持っちゃいけないと思う。欲しくなるかも知れないけど、あんまり若い間から湯水のようにお金を使っていると狂うよ。何が、とは言えないけどうーん、生活がって感じかな。価値観も滅茶苦茶になる。
 金がある為に崩壊する家庭もありますしねー。(逆も然りだが)
 身の丈にあった金が手元にあるのが一番です。最低限必要なお金はまあ何をしてでも稼がなきゃいけないでしょう。でも、其処から先をどうするかはその人次第です。お金に執着してもっと稼ぐか、別の方向に力を注ぐか。
 貯金が増えるのが楽しいって人も居れば趣味に費やして給料日前は通帳からっぽ、と言う人も居る。(はい勿論私は後者です)
 死んだ後にまで金を持っていられるわけじゃ無し、葬式代と墓代で足が出ない程度だけ貯蓄出来てりゃあとは持つ必要ないなと個人的には思ってます。
 宵越しの金は持たん、泡銭は振る舞いに使え、そんな気質の人間です。でもね、やっぱ有るに越した事は……(しつこい)
posted by こがよしひさ at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月18日

十年目。

 私は生まれてこの方関東以外に住んだ事が無く、旅行すらも修学旅行のみ、という経歴の持ち主ですので関西と呼ばれる地域には中学生の頃一度行ったきりです。高校の時は長崎で、関西は上空通過。
 それでも、あの大地震は記憶に新しいです。もう、十年なのかと。他所の掲示板で、「あの頃小学生でした。今年やっと成人式です」という発言を見ました。
 小学生が成人式を迎えるような年月が流れていたのだなあと思います。勿論、成人式を迎えることなくあの頃のまま止まってしまっている方々も多いでしょう。
 それは、生きている人間だって同じかも知れず。
 街並みは十年で随分目覚しく復活したかもしれない。でも、大事な人を失った痛みはまだまだ癒えていない方も多いと思われます。
 十年、節目ですね。
 出来るなら、この十年で立ち止まって居た方も、次の十年で前に進んでいけますように、そういう社会でありますようにと思います。
 新潟もスマトラも、今大変だと思います。台風が通過して根こそぎ薙ぎ倒していった地域もあります。首都東京は、幸いな事にまだ無事でありますが其の反面一度災害に遭えば他の地域と比べ物にならない惨事になるだろうとも言われます。
 「其の時」が来ても被害が最小で済むように常日頃から意識する事が大切ですね。

 えーと、一般論過ぎてなんか、新聞社の社説みたいですけど大丈夫ですか?私もそうそう読み手に喧嘩売る文章ばっか書いてられないんですよ。というかまあ本音で御座いますが。
 兎に角あの震災から今年まで色々な事がありました。自然災害のみならず人災と呼んでいいものも沢山。
 よく、「地球を傷つけているなんて人間の驕りも良い所で、実際は人間が何をした所で別に自分たちの首を絞めるだけに過ぎない。今までに絶滅してきた沢山の生き物の最後尾に人類が並ぶだけである」とかいう事を耳に致します。
 まーその辺は私も同じ意見で、結局の所人間がした事が人間に返ってきてるのよね、と。でも、だからこそ地球云々じゃなくて、自分の傍に居る大事な「人間」の為に小さな事からこつこつと、っていうのが大事なのかもしれない。(あ、青春な発言だね)
 えーと、私の場合はジルの為に頑張ります。つーかえっと、実際災害が起きちゃったら人間じゃないジルをどうやって守れば良いのか見当つきません。災害おきないで下さいと祈るしか無い。

 大震災だけでなく、其の他の災害で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。また、遺族と被災者の方々に一日も早い安らぎが訪れますように。
posted by こがよしひさ at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月10日

盗用・転載について思う事

 犬系の方はもうかなりご存知である事と思いますが、リンクすら出来せん緊張しすぎて、という方が無断盗用の被害にあわれました(今はもう盗用者との話し合いも進み、事後処理の段階に移っています)。プロとして活躍なさっている方ですので、大変難しい問題も絡み、ご心痛も計り知れないほどであったかと思われます。
 この手の事件は割りと頻繁にネット上で見かけますが、盗用した人の内心まで私達に知らせてくれる事は先ず有りません。雲隠れしてしまったりするからです。
 ですが、今回は盗用した本人の心情を少しだけ、垣間見る事が出来ました。顛末サイトに、被害者と加害者両名のメールのやり取りがアップされています。(今はマウス沈没の為リンクはまた後ほど)言葉少なではありますが、盗用する人の心の内側を知ることが出来、その部分は良かったと思います。(絶対にあってはならない事なんですけども)

 著作権は親告罪である、よって、被害者が告発しなければ裁けない。その辺に胡坐をかいているのがこの、二次創作、同人というやつです。幾らなんでもコミケに集うあの数を一々訴えていたら何十年掛かるかわかりません。
 でも、本当はイケナイ事です。しかしながら同人を土壌にして素晴らしい書き手へと昇華する人も確かに存在する。書き手で稼ぐ出版社の中にはその為に同人を黙認している所もあります。(集英社とかは多分そうですね、アンソロジーの発行を許している辺り。小学館のアンソロジーが書店に並んでいるのは見た事無いでしょう?)
 あくまで黙認であって、「まあ見い事にしてあげても良いけどね」程度ではあると思うのですが。
 ただ、これも同人をやってる本人が自分で考えて自分で作品を作った場合のみです。ブログサイトや携帯サイトの中にはコミックスの表紙などを画像加工ソフトで加工して、展示したり配布したりしている所がありますが、それは幾ら何でも……。
 勿論作家さんの中にはそういうサイトも自力でやってる同人サイトもどっちも消滅してくれと思ってる人だって絶対いらっしゃると思います。其れは凄く解っているんです。私の場合このサイトで扱っているジャンル、両方とも同人には否定的ですので。
 それでも私は「書く」「描く」事の楽しさを知ってしまいました。あるキャラのあるエピソードを読んで、これはこういう場面だったのだろうなと絵にする、またはこのキャラがこういう事をしてくれたら面白そう、と小説を書くのはどう表現して良いのか解りませんが、「衝動」のようなものです。
 好きを表現する為にとった手段が同人活動だったと言う事であって、嗚呼でも詭弁に過ぎないのはわかってはいるのです。先日のエチャで「でも平たく言えばキャラクタと世界観をパクっているんですよね」というのは動かしようの無い事実で、真実で、許されないかもしれないけどどうしても抑えられなくて……。
 無断盗用と同人と、同じなんじゃないの?と言われると本当に返す言葉がありません。でも、感情的にはやっぱり、「違う」と言いたい。前置き長いね相変わらず。
 自分で、線を引く。色を塗る。構図も考えるしソフトでかける効果も考える。手抜き背景になる事が私の場合は多いわけですが、スキャンするまでに屠った沢山の下書きだってある。其れなりに努力しているんです。ええ、キャラと世界観はパクってますけどね。其処だけは他人の力を借りているのですけれども、でも、髪の線を描いたのは私、瞳に色を塗ったのは私、頬に赤味を加えたのも私です。
 何度描いても上手く行かなくて半分泣きそうになるのも私だし、パソコンの前で眼精疲労と戦うのも私です。
 その、努力した部分と言うのはね、例え同人であっても損なわれる事は無いと思いたいのですよ。
 一番最初の所からオリジナルで魅力的なキャラや世界が作れれば一番なんでしょうけど、でもオリジナルと同人はやっぱり違っていて。
 違っているけど、それでも句読点の位置や、単語の選び方に悩んで文章を作る苦労は同じもので、だから私はその「努力」だけは損なわれないと思っているのかもしれない。
 でも、盗用って言うのは、そういう努力すら無しに、全てを偽る事だと思うのです。偽る相手が他人なのか自分なのか解りませんが、間違いなく「偽り」であると思う。其処には、「損なわれる事の無い努力」が存在しないと思う。それは、同人をやっている私の勝手な意見なのかもしれませんが。
 私の過去の日記、このブログ内に入っている日記を読んでいただければ、私がどんなに自分に自信が無いか、この程度の力量(画力筆力)しかない事を口惜しく思い、半分絶望すらしながらそれでも十年後くらいには見られるようになっているかもしれないと一縷の希望を持って絵や小説絵を作っているかが解っていただけると思います。
 パソコンやテーブルの前で本気で泣きそうになる事だってあります。本当です。本気で自分の技量の無さを嘆き、もう一生筆は取らないキーは叩かないと誓う事だってあります。(まあ二日もすれば書くんだが)
 上手になりたいという気持ちは創作をする人なら当たり前に持っている気持ちだと思いますし、気持ちに技量が追いつかなければ私みたいに半分絶望しながら頑張っていると思います。
 こんなに苦しいんだから、ああもういっそ本当に上手い人の絵や小説を攫ってきて自分のものとして公開できたらそりゃ楽だと思いますよ。気持ちはね、本当に解ります。やりたいよ、そういう事。今の自分が絶対に辿りつけない高みに居る人の能力をさも自分の物であるかのように吹聴したいよ。
 自分が描いた本当の作品に寄せられるよりも多くの賛辞が山と聞けるだろうさ。
 でもね、それじゃあ、「褒められる悦び」は味わえても、「作る悦び」は味わえないのですよ。いいえ、褒められる悦びだって味わえないかもしれない。だって自分は知ってますもの、その絵を描いたの自分じゃないって。
 上述の通り泣きそうになりつつ(本当に泣いてるかもね)絶望を抱えて、それでも何で私が色々描いてるのかっていえばそりゃ、描かずには居られないからですよ。絵でも文でも、自分の中に浮かんだものを外に出さないと腐ってしまうんです色々と。壊れてしまうかもしれない。
 それに、沢山の辛い事の中にほんの少しの、宝石のような楽しさがある。小説を書いているときに、ごくごく稀にですが「嗚呼、私はこの文章を書きたかったのだ、この場面を、この単語で、この言葉達でこのように表現したかったのだ!」と雷に打たれたように思えることがあるんです。
 其れは、他人が見ても絶対に解らないような何の変哲も無い文章でしょう。特に優れていると言う事も無く、別段感動的なわけでも無い。
 でも、私だけには解るんです。この場面にはこの文章以外入る事はあり得ない、と。その悦びは何物にも代え難い。絵でも有るんですよ、こう、デッサンは相変わらず駄目駄目だけど妙に憎めないような一枚っていうのが。こういう悦びがあるからこそ、どんなに自分の未熟さ下手さに打ちのめされ、他人からの冷酷な意見に晒されても描く事をやめないのです。
 盗用する事に慣れて自分で描く努力が出来なくなったら、この悦びは永久に味わえ無い。それはひょっとすると罰かもしれません。他人の努力を盗んだ事に対する。
 だからまあ、盗用はいけないことですよねって当たり前の結論なんですが。ちょっと創作活動について考えさせられてもので……。ウチのサイトに出してるものにはクレジット入れてませんし、どっちかと言うと配布物なんかコピーレフト(著作権込でフリーであるという事。コピーレフトが宣言されたものはそれを手に入れたひともコピーライトを主張する事は出来ない、らしい)な勢いだし、私自身ゆるゆるな人ではあるのですが、ね……。
 取り合えず頑張って、努力して、泣きたくなる回数を出来るだけ減らして、兎に角上達出来たら良いな、って最近はそう思ってます。でももう今日既に泣きたくなりました。小説全然進まない。絵も描いても描いても気に入らない。泣きたい……
posted by こがよしひさ at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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