2005年01月09日

ナチについて思うこと。

 何かこの、思考嗜好志向のカテゴリって、何でも突っ込めるブラックボックスみたいだと思います。つまりこのカテゴリの記事ばかり増えそうだという事。
 今回も何か神経質な人に殴られそうな記事だけど気にしないで書くよ!以下の記事は全部私見だからムカついても知らないよ!(何其のキャラ)

 つい先日の時空警察(ドラマのような歴史検証のような良く解らん番組です多分日テレ)でナチスのヒトラーがテーマになっていました。んで、一番最後のシーンで「悪は滅びる」とか何とかいう台詞があったと思うんですけど、もうそれに物凄く「うーん」となってしまったわけで。
 随分昔から私はナチスを(真面目に)語る場合は「先ず彼らが狂人であったとか、彼らが絶対悪であったとか、そういう考えを捨てるべきだと思う」と前置きするのですが今回もそんな感じで。
 例えば彼らが行ったユダヤ人への色々は間違いなく犯罪であって、絶対に許すべきではない罪であるわけですが、(此処の所は反論食らったりしない、よね……?や、許す権利があるのは被害者と遺族だけだとかいう意見は別として)ナチスと言えばもう脊髄反射で狂人の集まりというのはいかがなものでしょうね。
 悪、と断定するのも正直苦手。というかナチに限らず善とか悪とかのレッテルが嫌いです。そんなもん決められないやろ、と。組織や人間相手であれば悪い部分と良い部分が同居しているはずだし、(比率は極端かもしれませんがね)だったらどちらか一方のレッテル張りをするのは不自然では無いかと思うのです。
 複雑な理由があって色んな要因が絡んで人は罪を犯すのだし、その辺を考えて改善していくのが周囲の人の有るべき姿じゃないかな?と。そう考えるのです。
 しかしですね。ナチスに関しては、テレビで特集が組まれる度に「こんな残酷でこんな非人道的でこんな狂気の集団でした」というアピールが凄いと思う。今まで散々そういう風に言われてきたんだから今更繰り返されなくても解ってますよって感じ。
 ナチスの悪逆非道っぷりが世界の人に浸透しきった今だからこそ次のステップへ進むべきでは無いかと。(何か文章にネタ混じってきたな)
 これも何度も言う事なんですが、一番恐いのはナチスが狂人の集まりだとかそういう事ではなく。寧ろ狂人なんかじゃない普通の人の集まりだったという所です。
 ユダヤ人の親子を眉一つ動かさずに撃ち殺した其の日の夜、幼い我が子を抱き上げて絵本を読んでいたかもしれないその普通さこそ、真に恐れるべきではないか。
 狂人の集まりじゃなかった。寧ろ普通の人たちの集まりだった。ヒトラーも、ヒムラーも、半生を聞く限りでは吃驚するほど平凡。他のナチ党員だって同じだと思う。

 そういう普通の人でもああいう事が出来る、だからこそ恐い。

 だからね、端的に言うとね、私だって時代と場所によっては赤ん坊を壁に叩きつけて殺して、それでも平気だったのかもしれないって事ですよ。
 今の私なら無理です。絶対。もしのっぴきならない事情でやったとしても、其の瞬間に私の心も死んでしまうのだと思う。
 でも、ひょっとしたら、何度も繰り返していけば、何も感じなくなるのかもしれない。トイレに行ったりファミレスでご飯食べたりするのと同じ感覚で引き金を引けるようになっちゃうのかもしれない。
 ナチスのホロコーストとかユダヤ人に対する迫害とかは、その可能性を示唆してるのだと思うのです。そういう風にならない為にはどうすれば良いのか、テレビで放送するべきなのはそっちなんじゃないかな。
 ナチスの党員、SSの隊員が決して狂ってなんか居なかった事。家族も居て、恋人と愛を交わしていたという事。ペットを可愛がって、子供を愛していた事。そういう事こそを知ってもらわないといけないんじゃないかな。(いやまあ勿論DVまみれで児童虐待してた隊員も居るだろうさ。でも其れはナチだろうが赤十字だろうが同じだと思いますよ)
 ドイツ国民の全てがユダヤ人を嫌悪していたわけじゃない。でも、ユダヤ人の息を止める法案を受け入れた。(恐怖政治とか色々と事情もありますが)国民の全てが狂ってるなんて有り得ないですから矢張り彼らも普通の人だったんですよ。でも、国を挙げた「差別」行為を受け入れた。
 今、この時代の日本にだって差別はありますよね。虐めもある。そういうことをする人は別に狂ってなんかいないし其れが悪い事だと言われれば反省するのかもしれない。
 問題なのは、ユダヤ人の迫害を受け入れた(少なくとも政府と徹底抗戦しなかった)あの時代のドイツ国民と、差別をしたり他人を平気で傷つける発言をしているこの時代の日本人と何が違うのか、同じなんじゃないかという事。

 ホロコーストの特集を観る度にこんな事を考えてしまうのですが。あ、因みに時空警察は漫画読みながら適当に観ていたのでひょっとして「ヒトラーって意外と普通の人でした」みたいな内容のお話だったとしたら済みません。つーか別に時空警察を槍玉にあげているわけじゃないです。好きですあの番組。(取ってつけたように)




 今更のようにナチについてちょろっと。(これ記事の頭につけるべきかな?)

そもそもナチスとは。
正式名称:Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei(国家社会主義ドイツ労働党/長ったらしい名前だね)
であって、最初を取ってナチ、(ナチスは複数形)という。言い始めたのは確か、全然別の政党とかの人で蔑称だった。もしタイムスリップしてもナチ党員にナチとか言わない方が良いよ。
 最初国民の絶大な人気を誇っていた所をみると実はホロコーストとかを除けば優秀な政党だったのかもしれないとか思うのですが、こういう事いうと「こがはおかしい」とか言われそう。

アドルフ・ヒトラー
もう皆知ってると思うんですけどまー、ナチの頭だ。ナチで一番偉い人。デザイナーとか画家とか芸術方面目指していた様子ですが才能は皆無だったみたいですよ。
 ユダヤ人嫌いは筋金入りだったと思われる。一体どんなトラウマを負わされたというのか、もう虐めとしか言い様の無い法案をさくさくと。(しかし其れが可決されちゃう辺り……)

ナチス親衛隊(Schutzstaffel)
多分正式名称も日本語も全部書くと長いからだと思うんですけどSSと略されます。この略称のお陰で求人広告とか見てるとびっくりします。親衛隊の募集とか普通に溢れてるよ。吃驚。
 元々はヒトラーのボディガードとか私兵団ぽい成り立ち。いろいろあくどい事をして他の組織を押しのけてどんどん拡大。ホロコースト関係に深く深く関わる事に。つーか組織拡大しすぎてどうやって説明したら良いか解らないよ。ググって。でもググるとコスプレサイトとか出てくる。日本はおかしい。

ハインリヒ・ヒムラー
はいもうこの人知ってる人とか超少なそうだよね。彼を知ってる人は多分私より色々詳しい人だと思うよ。
 SSの長官。知れば知るほど変な人。ユダヤ人山ほど殺す命令とか出してたはずなんですけど本当に小心者だったみたいです。恐ろしい胃痛持ち。胃痛は良心の呵責だったのでは?とも言われますが呵責クソ喰らえでしたね。
 最後は自殺。

ホロコースト(Der Holocaust)
ショアー(Shoah)と表現される事も。確かホロコーストは「焼き払う」とかが語源で、宗教的犠牲みたいな意味もあるので、犠牲なんかじゃなく虐殺だ、という事でショアーを使うみたいな事をどっかで聞いた気がします。(うろ覚えの話半分)
 言わずと知れたユダヤ人の大量虐殺ですが、同性愛者や精神病患者、障害者、政治犯など結構色んな人も殺されている。「最終的解決」もホロコーストを差す。
 ドイツを救うには害悪をもたらすユダヤ人を絶やす必要がある、という考えから。実際殺す方向に決めたのは(それまでは国外追放がメインだったりした)ヴァンゼー会議でだと思う。

 こんな所で如何でしょうか。此の辺だけ知ってれば上記の記事はさらりと頭に入ってくると思います。調べると複雑で、嵌るので要注意。時間とお金があっという間に消えます。
 情報は間違いの可能性がかなり高いのでまあ参考程度にってことで。ってゆーか「ホロコーストは無かった」と主張する人も居るみたいで、あの時代が遠のくにつれますます御伽噺化していきそうですね。南京大虐殺とかも色々有るようですが。


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2004年12月31日

オンとオフの人間関係。

 冬コミで(もうコミケはオフ会と同義語)楽しい思いをしたから、というのもあったのでちらりとその辺のお話とか。

 例えば私には高校時代から仲が良くて今でも連絡を取り合っている友人が居ます。そういう友人とは、何ヶ月かに一度、もしくは何年かに一度連絡を取り合って会ったりしています。
 一方で、ネット上で知り合って、年に二回ほど(まーぶっちゃけコミケだ)お会いする中の良い方々が居ます。
 更に、ネット上では仲良くして頂いているものの実際にお会いした事がない方や、多分お互いにサイトの日記は読んでるんだけどあまり交流をしていないような感じの方もいらっしゃいます。

 で、とっても面白いんですけど、私にとっては実際にお会いしてサイトの日記にも足繁く通っている少数の方が一番近い感じで、次にオフ友なんですよね。
 この場合の近い、というのは何と言って良いのか、日常の一部分的な意味合いです。どの友達が一番好きかと聞かれても優劣つけられないし言い方は悪いけど用途が違うので。(趣味の萌え萌え話が楽しい人と、自分の弱みを見せられる人と、一緒に馬鹿をするのが楽しい人と、私にとっての価値が様々だという意味です。そしてどれが優れているというのもやっぱり答えられない位同列)
 オフであって交流を深めた関係よりも、オンの人のほうが日常に近い。これに気がついた時は何だか面白かったです。自分についてちょっとした発見。

 毎日顔をあわせている人だって居るんですが(上司とか、コンビニの店員さんとか)そういう感じでもなく。プライベートな自分を感じられるとでも言うのかなあ。まー仕事しててもそんなに変わりませんけどね。
 相変わらず大変個人的意見なのですが結局の所人と人が会うのって、言葉を交わして、お互いを理解しあう為なんじゃないかな、と思うのです。(仕事関係も一寸そうかも)昔は意見を交換する為には会ったり手紙じゃないといけなくて、でも手紙だとリアルタイムじゃなくてもどかしかった。
 電話が開発されて、でも電話はお互いの生活がリンクした時にしかじっくりとは意見交換や議論が出来ない。そして現代のWWWですが、これはサイトという媒体があって、其処に相手が(マメな人なら)毎日己の日常、意見、考え方を綴っていく事が出来る。自分が気が向いたときに素早くチェックできる。反応は比較的迅速。
 お互いの意見をやり取りして共感したり反発したり、相互理解を深めていくのが人間関係だと言うならば、実際に会っていなくてもその人の考え方感じ方を毎日一寸ずつでも読んでいくというのは人間関係を作る事なのではなかろうか。
 ロム専門なら流石に一方通行になってしまうけど、言葉を交わさずともお互いがお互いの言葉を読んでいる事を解っていれば、其れはやっぱり人間関係の構築になるんじゃないだろうか。
 というかですね、実際毎日会う人よりはサイトの日記やこういうブログの方にこそ私は本音を綴ります。キツイ事も偏った意見も反発を承知でアップするし、ネットで嘘なんか吐かない。お世辞も言わない。(最悪だよ)
 という事はつまり毎日顔をあわせて挨拶もする会社の人よりもネット上の顔も知らない人の方が私と言う人間の性格や本質を理解している可能性だってあるわけですよ。(まーこのサイトは普通に会社ばれしてるんで実際はもう一寸複雑なわけだが)
 だからこそ、サイトで日記を読んでいるオンのお友達の方が私にとって身近なのだろうなあと。知り合ってからの年数はまだそんなに「長い」というほどでもありませんが(でも短くは無いと思う)会う度にぎこちなさも無くとことん自然で居られるのは日記のお陰かもしれません。
 腹を割って話す事も好きな事嫌いな事を主張するのも殆ど遠慮無しです。「私のこの言葉を、きっとこの人は正確に受け止めてくれるだろうな」という信頼があるから。何をもって正確というかは個人の判断によりますが、私はそう思っているわけで。
 多少言葉の選び方がまずかったり極論を持ち出したとしても表現したかった本意を拾ってもらえる、違和感があればその場で問いただしてもらえる(理解してもらうチャンスを与えてくれるという事です)というのはとっても楽。話していて楽しくてついつい止まらなくなるのは其の所為ですね。

 ネットでの人間関係は現実味が無くて希薄だ、という意見を良く聞きますけれども私みたいな人間も居ますよー、という事で。まあこの理論はサイト持ちの方とかにしか適用できないのがアレですが。(このアレという言葉にしてもねえ。色んな受け取り方が有るものですけれども)
 日記と切り離してから重い話題が多かったので年越し前位明るい話題にしてみました。明るい、というほどでもありませんがまあ重くはなかろうて。

 所でこんな所で私信もどうかと思うけども。
 私は優しいとか気を配ってるとかいうよりも単純に卑屈なだけなんではないかと(笑)もしくはもう言葉の選び方なんか身に染み付いちゃってるから意識しているわけではないですし。もーお会いする度楽しいばっかり先に立っちゃって、全然遠慮とか配慮とかしておりませんの事よ〜
posted by こがよしひさ at 01:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月24日

ネグレクト

 虐待と一口に言っても性的虐待、言葉の暴力、身体的虐待、と色々あってネグレクト(養育放棄)も其の一つであるわけですが、最近、増えているようですね。
 虐待そのものも増えてはいるんですけども。先日ニュースで立て続けに三件も四件もの虐待事件を聞かされてちょっと愕然としました。全部別件なんですもの。
 朝から厭な気分全開ですよ。
 こんな風にニュースになるのはまあ暴力系の虐待なのですが。ニュースで流れるような虐待はごくごく一部だし、その後ろでは児童相談所も把握していない山のような虐待があったりするわけです。
 本屋でざっと其れ系のものを読んでみたのですがやっぱり厭な気分にはなりますよね。核家族化が問題だとか何とか言われては居ますが、そういうのは兎も角として本当に、「産んだだけで母親になれる」というシステムだったら良かったのに。
 産んだだけでは「血が繋がっている人」に過ぎません。お乳なりミルクなりをあげて、世話をして、子供に認められて初めて母親です。(この場合の認められるってのは上手く表現できないので各自考えて/なげやり)此の辺の成長が出来ずに子供に暴力とか子供をほったらかしとかが多い様子。
 子育てを親から学べない世の中になったのなら、学校とかで教えるようになれば良いのになあ。
 中学校とかの授業で。ある程度の知識が有れば子育ての悩みなんか乗り切れちゃうものが多いのですよ。言葉が遅いとか、抱き癖がどうのとか、夜泣きがどうのとか。お姑さんとか自分の親とかに気軽に相談できないならもう学校で知識として教えちゃえば良いじゃんと思うんですけど。
 子供の発達段階においては反抗期だの自我の芽生えだので親が苦しむのはごく正常な事です。でも、其れを知らなければ「子供が憎たらしい」「子供は可愛いはずなのに、ウチの子は可愛くない」「自分の子なのに可愛いと思えないなんて私は変なんだ」こんなふうに思うのは仕方ないですね。
 そういうストレスは育児には大敵です。お母さんがつかれきっていれば子供も緊張しますし不機嫌になります。悪循環。
 子供の泣く声は本当に、不愉快ですしね。苛々するし、辛くもなりますよ。
 でも、赤ちゃんや子供の声が不愉快な響きを持っているのにはちゃんと理由があるんだそうです。
 子供の泣き声や悲鳴は、大人に「何とかして泣き止ませなくては」という強い感情を引き起こす働きがあります。其れが、「不愉快な響きなので何とか止めよう」という考えに繋がります。
 赤ちゃんが泣いていてもお母さんが世話をしなければ赤ちゃんは死んでしまいますからね。眠っていようが食事をしていようが何より真っ先に赤ん坊の世話をさせる。其の為に幼い子の泣き声は大人の精神を削るような響きを持っているのです。
 バスや電車の中で子供が泣くと凄く気になるのは其のせいなんですね。音量的にも選挙カーと比べれば大した事は無いはず。それなのに子供の泣き声が「五月蝿い」と思ってしまうのは、私達が大人で、本能的に「保護しなくては、世話をしなくては」と思っちゃうからなのです。表面的は「早く泣き止ませれば良いのに」という思考に変換されていると思いますが。
 こういうちょっとしたことを知っているだけでも、夜泣きする子供を憎らしく思ってしまうことに対する罪悪感は減るのではないでしょうか。泣く子供に愛であれ憎しみであれ強い感情を抱いてしまうのはもう、自然の摂理なんですし。寧ろ、「泣き止ませなくては」と強く感じられると言う事はやっぱり親である証拠なのですよ。
 子供が泣いていようと叫んでいようと何も感じない、全然平気だという人こそ問題だと思います。(まあ個人差なんですけど)自分の子供への無関心は、「愛せない、憎い」という感情を抱くよりも厄介です。愛情の裏返しは憎しみですが、愛情の対極は無関心なのですよ。
 憎しみをひっくり返せば愛になりますが、無関心を愛に変えるには一から育てなくてはなりません。
 幾ら親だからって子供の行動の一から十まで愛せるはずが無いし、反抗期なら腹が立って当然です。その辺の事は昔は周囲の経産婦や親から聞く事が出来たのでしょうけど、今はそうではないと。育児関連の本は沢山有りますけど本を読まない人だっているわけで。
 常々申しておりますが子供は子宝。どんな優れた国も子供が育たなければ滅亡必至ですし、どんなに壊れた国でも子供が優秀でありさえすれば数十年で蘇り発展するでしょう。国が何よりも守らなくてはならないものです。其れがこの体たらく。
 虐待をする親は許せないけれど、全ての親が虐待する可能性を持っています。その可能性を減らすのはやっぱり個人の力じゃ無理だし限界もある。国に頼らなくては大規模な変化は望めません。

 文句ばっかり言ってますけどやっぱり政府に頼るしかない事は多いです。育児関係に関心の強い政治家が増えてくれますように、と祈りつつ。
 児童相談所とか乳児院とか色々増やせば良いとも言われておりますが、幼い子供にとって親はやっぱり特別です。成長すれば解りませんが、どんなに酷い親にだって抱き締めてもらいたい、と思ってるはずです。普段傷つけられているからこそ、優しく名前を呼んで欲しい、抱っこして欲しい、撫でて欲しいと強く思っているでしょう。他の人間がどんなに優しくしてくれても結局本当のお母さんには敵わないです。
 本当に壊滅的な過程ならば親元から引き離すのは仕方ないですが、そのための施設を増やすよりは親を、更正する方法を考えるのが一番ですよね。まー緊急回避しなくては危険、と言うことも沢山あるんですけど。難しいね。
posted by こがよしひさ at 00:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月18日

貴族階級。

 下のメンタル記事が重いので(まあだからメンタルなんだけど)日記で流そうと思いきやこっちもそんな明るくない話題。御免よ。

 毎日新聞系列のコラムで、発展途上国の記事を読みました。アフリカの、首都から遠い町の事だそうです。そういう場所でも今はテレビなどが普及していて、ある程度国の外の事も解る、というのですが……。
 首都から遠い地方の町や村は矢張りまだまだ貧しく、色んな意味で先進国には遅れています。取材で現地に行った記者に、「私達の村が、(あのテレビの中の国のように)豊かになる事はあるんでしょうか?」と言った人が居たそうです。
 または、「日本に出稼ぎに行きたい。バイクでどれ位掛かるか?」と尋ねた人も居たと書いてありました。世界地図を見たことが無い、地球の大きさも、日本とアフリカの距離も知らない。高層ビルを現実に見たことが無い。飛行機を見たことが無い。
 そういう生活をしている人も確実に、居るんですよね。私は空調の効いたオフィスで、パソコンに向かって仕事をしています。コンビニに行けばそれなりの食事が食べられるし、ジャンクフードやお菓子もある。通勤にはバスを使っていますし、ふらりと本屋に立ち寄って専門書を購入し知識を増やす事も出来ます。
 其の一方で、高層ビルや飛行機を見たことも無く、食事がしたければ先ず火をつけることから始める人も居る。
 人によっては「日本に出稼ぎに行きたい。バイクでどれ位掛かるか?」という発言は笑い話だと受け取るかもしれない。でも私は何だか涙が出そうになりました。養わなければいけない家族が居て、お金が足りない。記者に質問した人は多分立派な大人です。そういう生活の中で一生を終わる人がいて、それでも私は自宅でネットをする事が出来る。
 自分の事じゃないのに凄く「理不尽だ」と感じます。テレビの向こうに映る国を見て、「自分達があの外国人と同じような暮らしが出来るのは何時なのだろう」と記者に投げかけた(独り言に近かったでしょうが)人の気持は、とても推し量れるものじゃないです。
 私はあんまりブランドや宝飾品に魅力は感じない方ですが、それでも贅沢な暮らしをしてるんでしょうね。世界でもお金が掛かる事で五指に入るという、東京に住んでいるのですから。
 ニューヨークや上海もお高い街らしいですが。(香港だったか?)
 まあ、自己嫌悪して倹約してみても地球の裏側の人の生活には何の影響も無いんですけどね。
 取り合えずテレビで「家は何百坪で〜クローゼットにはケリーのバッグが何個有って〜」という馬鹿な金持ち若奥様に此れまで異常に嫌悪感を持つ事は確実です。
 また、金持ち特集とかで「羨ましいですね〜」と軽い発言をするリポーターの頭を殴りたくなるのも確実です。(まあ彼らも仕事なんだから仕方が無いんだが)といって自分が宝くじに当選したら全額発展途上国の教育支援金にでもするか?と言われると全額は無いな、と答えるだろう。まあ人間というものは自分勝手な生き物なんで御座いますよ。
 取り合えず小さな一歩として「貧乏だ〜」と軽々しく口に出すのは止めようと思う。日本で人並みの生活が出来ているというそれだけで、世界レベルで見れば貴族階級なんだから。
posted by こがよしひさ at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月27日

厭な事。

 が有ったんですけどまあ言っても気分悪くなるだけだよなあとも思うので書こうかどうしようか。まあ別に他人の機嫌をうかがう日記じゃないしな。(最低!)
 例によって私の乱暴な私見が嫌いな方は罫線までスクロールプリーズ。

 いえね、今日帰宅時にバスを待っていましたらやたら大声でハイテンションの女性が友人に喋り倒していて、それは良くある事なのですが。
 其の方がですね、ええと、例のイラクの人質事件について結構な大声で意見を述べておりまして、いや意見を言ってはならんとか言う言論統制じみた事は言いませんがなんつうかまあ不愉快になったので。
 あの人質の方は観光客と言う事に決定したんですか?私は知りませんけどどうも其の事がお気に召さなかったらしく、(以下ほぼ原文まま)
「馬鹿よねえ、自業自得だっつうの。観光客なんてさ!本当に馬鹿だよ、日本の面汚しだよね、”死にたくない”とか、自業自得だろうっての」
 などとまあ聞く人が聞いたら青筋立てて怒りそうな事を其れは其れは堂々と何度も繰り返して仰っていたのでひょっとしてこの人は何か人質事件で迷惑でも被っているのではなかろうかと思ってしまったほどですが。
 他にも某テロリストの公開する画像をこぞって見に行く神経が理解出来ないとか言ってましたけど其れは「モラルが無い」って意味だったのかな。
 だとしたらかなりの高確率で命の危険に晒されているであろう人物(他人だとしても)の事を公共の道路で「面汚し」とまで言ってしまうその言動にはモラルがあるのかと気になったのですが私は平和主義者なので黙ってました。
 確か随分前だか最近だか時間の感覚がいいかげんでしたが、似たような事がなかったですっけ?命からがら(かどうかは知らないけどさ)帰国してきた人に向かって「危機管理がなってない馬鹿者め」という意見が出たじゃないですか。
 う〜〜〜〜ん、間違っては居ないんだけど、何と言うかそれで良いのかなあと思うのですよね。捉まっちゃったもんは仕方ないじゃんか。それを後から赤の他人が(身内ならまだしも)非難したって何になるのでしょう。
 私は故人を悪く言わないという日本の文化は(外国もそうだと思うけど)大変品が良いと思っているのですが最近の人は違うの?まあ間違いの指摘をするのが並べて下品だと言う暴論は以ての外ですが、それにしたって程というもんがあろうよ。
 少なくとも私だったら他人の失敗を論って非難ばかりしている人よりも何も言わずに慰めてる人の方が品が良いと思うけど。嗚呼、でも諾々としているだけが上品とも言いませんよ。いや、それでも罵詈雑言言いまくりよりはマシか。
 最近は政治家もやるべき仕事そっちのけで他人のあげあし取ってる気がする。台風があって地震があって人質事件があってもう仕事は山積みでしょ?暇なんか無いでしょ?だったらマイクに向かって他人の悪口とか嫌味とか一言言う間にもっと有意義な方向に脳みそ働かせれば良いのに。
 小娘の意見ですが。最近そんな事を良く考えるわけ。


 さて其れは兎も角イラレ奮闘記。(何だ其れ)パスでちまちま人物のペン入れをしました。昨日のイラストにイラレでパス引きした状態なり。勿論クソ重いので要注意。
ペン入れ終了。

 しかしこの状態ですと線が一本調子になってしまうので、付けペンで描いたような強弱をつけたいと思います。勿論手作業だコン畜生。と言う事でパスのアウトライン化。ハイ、無駄に大きいですよ。つうか何気にコレ講座っぽくなってるんじゃないの。
アウトライン化

 アウトライン化というのは説明が難しいのですが、う〜〜ん、線を図形化するっていうか、普通に境界線を描いた場合は線は線でしかないんだけどアウトライン化すると四角い図形として捉えられるって言うか、あ〜〜説明できない。何せ素人な物で。イラレ持ってる人はやってみてください。(最低!)
 んでそのアウトライン化したのがこれ。
アウトライン終了

 この大きさだと解らないかもしれませんが拡大すると良く解る。いつか講座作ったらアップして解説します。あ、青とか緑とかの四角やら線はパスの表示です。ん〜〜しかし普通の人はイラレとフォトショ両方持ってるなんてありえないですよね。ってことは講座は役に立たなくなるのだろうか。
 いや、そんな事は無い。だってフォトショにもパス機能はあるから。イラレのほうが美しい線が引けるだけですから。
 と言う事で。(何が)

 昨日の風邪はバファリンによって退治されました。さすがバファリン様。僕はバファリン信者なので何かあったら直ぐバファリンだ。しかし僕は正しかった。腹の調子が良くないがまあコレは日常茶飯事なので気にするまでもありません。
 あ〜〜もっと体鍛えないと駄目ですな。
posted by こがよしひさ at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月05日

ロボット

 昨夜の爆笑問題のすすめは面白かったです。ゲストがパラサイトイブの瀬名先生だったんですが、凄い面白い話が聞けて、久々のヒットでした。
 現代のロボット工学(っていうのかな?)のお話で。
 シリコン樹脂で整えられた結構な感じのロボットがもうあるんですね!勿論歩いたりとかお話したりとかは出来ないみたいなんですけど、それでも一定の刺激に対して反応するというのが、結構まあリアルっぽくて。
 でもまだまだ人間ぽくは無かったな。あの、FFみたいな感じのリアルCGが現実世界に出て来たって印象かなあ。リアルだとは思うんだけど絶対に人間じゃないぞ、みたいな。
 でもそういう部分もどんどん改善されていって、きっと私が死ぬ頃にはアンドロイドと言っても差し支えないものだって見られるんじゃないかなあ。そう考えると凄く楽しみ。
 そういうリアルなロボットを見た時の反応は二種類に分かれるらしくて、一つは「気持ち悪い」一つは「面白い」。私はまあ全面的に「面白い」と思ったので、「気持ち悪い」という心理が理解出来なかったなあ。何が、何処が気持ち悪いんだろう?みたいな。
 それからソフト面の話になって、結局の所人間らしさってなんだろうと。その辺の話はこのサイトにおいてある「生きてるシタイ」にものっそい被っていたので(笑)瀬名先生とは話が合うのかもしれない(笑)
 うん、だから要するに、人間の感情だって結局は脳が分泌するホルモンとか信号とかに左右されているに過ぎなくて、それは「システム」ですよね。ホルモンが出なくても同じような信号(法則?)を作れれば問題無い訳で、機械にそういう「感情システム」を搭載すれば「心があるロボット」だって作れるんじゃないか、そう思うのですよ。
 オキシトシンとかエストロゲンとかフェニルエチルアミンとかの物質が生成出来なくても電気信号で其れを再生できれば、それは同じ事じゃないかと。
 勿論難しい事なんだろうけど、其れが出来た暁にはAIは人間になれると思うのですよ。でも、其れが倫理的にどうなのかは微妙だなあ。機械は機械らしいからこそ信用できるんだし。人間みたいに嘘をついたり臆病になったりしたんじゃあ信用できないか〜。
 そういう事を考えるのは大好きなのでテレビが終わってからベッドの中で色々考えてしまったですよ。
 そういう風に考える事すら0と1に置き換えられるのかもしれない、そう思ったらわくわくしちゃって。(おかしいよ)
 私が生きているうちにリアルなロボットが出来ると良いな。
 例えばペットロボ。生きている動物みたいに柔らかくて、温かくて、でも排泄とか食事はしないの。人間の命令を良く聞いて、死なない。成長もしないで何時までもぬいぐるみみたいな赤ちゃんのまま。うわ〜、売れそ〜〜〜。
 ジルが死んだ後でそういうロボットが売り出されたら買っちゃうかもしれないな〜〜。つうか、買う。ペットなんてものは一番生きてても死んでても良いような愛玩物だと思うんだよなあ。
 飼い主が「此れは生きてる、心があって、自分に懐いてる」と思えばもうそれで十分じゃないか。今私の前で生きているジルにしたって、「コイツ人間の話絶対解ってるよなあ」と私は思ってるけど、本当の所は解らないし。
 でも私がそう思って、愛している。だから抱き締めるしキスをするし一緒に眠って一緒に遊んで養っている。結局の所本当はジルが生き物だろうがロボットだろうが猫又だろうが関係無い訳です。
 リアルさが行き着く所まで行けば、ロボット工学はこういう所で悩むようになるんだろう。そして、実際の生き物とは違って幾らでも優秀に美しく作れるロボットを前に、それでも生き物が生き物として存在する意味は何だろう。そんな風な事を考えないといけなくなるんだろうなあ。それはそれでちょっと哀しいですなあ。
posted by こがよしひさ at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月02日

考え事。

 ココ最近、というかまあ二週間位で私の周辺環境とかが急激に変化している気がします。いや、実質的には何も変わっていないんですが。潰しのきく人間に成長しつつあるって言うか。
 仕事上で凄く嬉しい事が増えてきて実際自分笑いが止まらないですよ。顔とか超にやけてる。気色悪い。(可愛いとか言う発言は出ない)その嬉しさに伴う不安も勿論物凄く大きくなってきているので、一時間のうち15分ごとににやけたり凹んだりして居るわけですが。(本当に気色悪いから)
 でも言い渡される指示は何時も遣り甲斐のある事です。其れができる事は私にとって凄く嬉しくて、「もっと上手にこなせる人間になれれば良いのになあ」とか自己嫌悪にもなったりしますけど「未熟者には未熟者なりの価値がある」とも言って頂けて居るので其の言葉に支えられていると言うか。
 雑誌の広告って、本当に広告でしかないわけで、読者にとっては寧ろ邪魔でさえあるのかもしれないけど、でも作っている方は限られた紙面でどれ位良い物が作れるか真剣に頑張っていて。
 今の上司については本当に運が良かったなあと思いますよ。私は昔から先生とか上司とかそういう人間運が良いので有名なんですよ。ウヒ。
 職務上の「大手他社と同じ事をしていても売り上げ伸びないから」という理由がある事は大前提として、それでも「もっと良い広告を」って追求していく姿勢は私にとって本当に尊敬出来るものですし、何時かはそういう人に私もなれたら良いなあって思っています。
 多分某氏にも昔そういう風に思える上の人が居たんだろうし、其の上の人も更に上の人に育てられていたんだろうなって。そういう風に考えるとあと何十年かしたらひょっとして私もそういう機会に恵まれるんだろうか。そうだと良いなあ。
 まあ、何十年も先の話ですよね。私は飲み込みが遅いのできっと同じ事を二、三回言われているんですけどそれでも投げずに面倒見ていただいていやもう本当に有り難う御座います。機会があったらGODIVAを進呈します。でもハロウィンは取り敢えず子供がお菓子を貰うお祭りなので、寧ろ私にGODIVAのハロウィン限定のチョコとか下さい。(今までの発言台無しだ)
 其れは冗談として。学校だろうと職場だろうと「こういう人になれると良いな」って思える人に会う事は割りと難しいので(芸能人とかじゃなくて人間としてさ)私は本当に人間関係に恵まれていますよね。ええっと、親がアレな分他の人間関係に運が振りまかれてるんじゃないかと思うと中学生時分泣き濡れた甲斐が有ったというものです。
 今あの頃の自分に何か言うとしたら「将来良い事が沢山あるからとりあえず早まるな」と言いますね。厭な事は沢山あったし、後悔してる事もまあ無いとは言わないけどそれでも差し引き計算すれば今の所「幸福」な人生だと思うし。
 まだまだ自分は子供だと思うけど我ながら頑張って成長しているのは解るので昔よりは自分の事を嫌いじゃないですよ。其れは結構凄い事なんだけど。う〜ん、相変わらず部屋を片付ける能力は欠如していますが、まあ考え方前向きな分やっぱ成長したかな。
 鬱病とかの問題は多々有りますが普通の人だって機嫌が良い時も悪い時もあるし、其の程度の病気だと思う事にしてます。他の人より浮き沈みが激しいだけ。薬に頼る事もあるけど元々私バファリン信者(熱でも痛みでも兎に角バファリンだ)だし。
 いや、関係無い方向に話が流れてる。

 こういう繰言は多分中年以上の大人の方々には「うんうん若いねえ」とか生ぬるい目で見られちゃうのかもしれないけど、まあ若いうちの特権的感じ方と考え方だからこうやって披露しておきます。
 私よりももっとずっと下の世代にとっては未来の話しだし、同年代の人にとっては「こういう生き方してるよ」って参考になるかもしれないし。…。なってる?(訊くな)
 今日辺りメッセで話しかけてもらったらきっと馬鹿みたいに話しまくると思います。(消極的な誘い)

 所で全然関係ないけど手元にある塗り済みのイラストを。超、激重いです。

かぐや姫
ハロウィン
posted by こがよしひさ at 19:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月11日

難しい事。

 やりたい事とか成りたいものとか、漠然としてるわけではないのに結局の所どうするのが一番か解らない。と言う事は良く有りますね。
 でもなりたいものややりたい事が有るってだけで幸福な事なんだろうなあとは解ってるんですよ。其の上で悩むんだから仕方が無い。
 ただ、技術や知識ならば勉強で補えるんだけど、そうじゃないものを欲してしまっているのでとても辛い。大変ですねえ。上手くなりたい、って言うのはとっても基本的なことだけど何処まで行っても終わりの無い、ループする欲求です。
 どんなにレベルが上がってもきっと其処で満足してしまうことは無いだろうし、向上心が無くなれば後は下降して行くしかないし。
 でも何時まで経っても満足できないという事でも有って、楽しさの中に不満とか、そういうのも抱えていかないといけないって事で。クリエイティブな事に興味を持ってしまったら誰もがぶつかる壁なんでしょうけど。
 私はまだまだ未熟ですので、やっぱり欲求は強いと思う。でもどうすれば良いのか解らなくなってきてる。
 絵でも文でもそうですが、取り合えず私は「一応成長期は過ぎた」段階だと思うんですよね。ごくごく普通に趣味としてやっていくならば別に今の段階で止まってしまったって問題無いというレベル。
 でも、それでお金を貰って食べていこう、と思ったらとてもじゃ無いけど話にならない。まだそんなレベルではない。 その、趣味と仕事の間にある壁って言うのは凄い高くて、頑丈で、どうすれば突破出来るのか解らないです。一応の成長期は過ぎているからどんなに頑張っても飛躍的には伸びないだろうし、目に見えて上手くなって行くという事も無いでしょう。其れは解る。
 ジリジリとしか前に進めないくせに気を抜けばあっという間に落ちてしまう。そんな段階。
 一月前に書いたものが見たくも無い位未熟に思えるんだけど、客観的に見て今書いたものと比べて上達してる?と言われると答えはNO。これはキツイ。
 つまり今書いたものですらもう二度と見たくも無い位未熟だというのが解るのですよ。自分が持ってる「見る目」に「書く技術」が追いついてないんです。この状態が一番辛い。
 両方同じ位なら苦しまなくて済むのになあ…。完全に釣り合ったり見る目の方が下になっちゃうと今度は上達しないから其れは其れで問題なんですけど。
 書く(描く)、という道を選んだ瞬間からもう逃れられない問題である事は事実なんですが…。其れは解ってるんですよ。でお辛いなあ、と最近しみじみ思います。
 書く事も描く事も両方お金になると良いなあと、本気で思い始めているからでしょう。でももっと旨くなる為にどうすれば良いのかが解らない。
 兎に角書きまくれば何とかなる、という問題じゃないと思う。もっと、何か必要な気がするんです…。書いただけで上手くなるんなら、そんな物量作戦で上手く行くんなら、世界の半数は物書きですよ。もしくはイラストレーターか漫画家か。
 何か特別な練習法があるんだ、とか馬鹿な事は言いません。私に足りないのは、多分センスです。其れがある人は早い段階でデビューするだろうし無い人は一生駄目だろう。有っても其れを開花させられない人はプロにはなれない。
 私にセンスが無いのか、あるけど蕾なのか、其れは自分じゃ解りません。きっぱり自信を持って判断できる人自体少ないでしょう。
 でも何となく、何となく感じているのは「多分私には種や蕾自体が無い」って事です。行き詰っているからそう思うのか、本当に無いからそう思うのか解らないんですけど。
 何回解らないって書いたかな。解らない事だらけです。解らないから不安なのかな。それも解りません。
 そんな事をぐるぐる考えてるとパソコンを破壊したくなってきます。でもやりません。大人ですからお金の掛かっているものは大事にするのです。
 五年後か、十年後にはきっと答えは出てると思うんです。まあ答えを待たずに死んでるかもしれませんけど。ジルより先に死ぬんで無ければ別に何時死んだって良いです、もう。
 このままずっと生きていけば何時かは私より先に死ぬ仲の良い人を失わないといけないし、何だか其れは気が重いなとか、そんな事も思ってます。
 今仲が良くてもきっと何十年も経てば疎遠になる人だっているんだろうな、とか。そういうこと考えるのは暇な証拠だろうか。行き詰ってる証拠でしょうね。
 ろくでもないです。そういうことを考えて尚「でも其れは当たり前の事だからな」としか思えない無感動な自分にも嫌気がさす。ひょっとすると行き詰りすぎて軽く欝なのかもしれません。不味いなあ。
 この人と離れたり会えなくなるのは絶対に厭だ、っていう執着が無いのは私の性格ですが、何かなあ…。
 あ、勿論離れていかれるのが厭じゃないってワケではないですよ!厭では有りますし出来るならずっと仲良しで居たいなあとは思ってますよ。
 でも家族であれ友人であれ変わらない関係は無いと思うし、特に友人関係は結婚とか出産とかで疎遠になる可能性も高いですよね。それを寂しいと思いこそすれ拒絶はしないとうことです。
 自分から繋がっていようという努力をしない人間です。何時も誘ってもらってばっかりで自分から能動的に遊ぼうとか会おうとか滅多に無いです。
 試しに私に連絡しないでみるとわかるよ。メールとか掲示板はまあ除外するとして、実際に会って遊びましょうやという誘いをしなかったら本当にどんだけ会わない事になるかですよ。
 実際もう二、三年会ってない子がいますね。凄く好きな友達では有るんですけどね。
 本当に何時も一緒にいたいと思うような、恋でも友情でも、そういう感情が無い自分に寂しさを感じているのかも。一人が平気なのに、平気な事自体が少しだけ、寂しいんです。不思議ですね。
 でもコレもきっと軽く欝なんだろうな…。普段そんな事思いませんからね。一人大好きですからね。酷くなるようならちらっと病院で薬を貰えば済む事だしな。リスカは全然再発の気配も無いのできっと大丈夫です。小説書き上げて安定したら元に戻ります。
 何か、長々愚痴ってすみませんですよ…。
posted by こがよしひさ at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月24日

自己実現色々。

 先日のエチャでお話を伺って「是非読んで見ますね!」と答えたきっかけで読んでます西尾維新。












やっべえこれ超面白いんだけど。






 とにかく嵌りました。
 軽い読み口でさくさく物語が進んでいくので面白い。推理小説では有りますが登場人物のアクがすごく強いから、本格ミステリに拘る方にはやや微妙かもだけど。
 でもそうだなあ、電撃文庫とかスニーカー文庫とかが好きで、でも最近それじゃ物足りないわ!って方はがつんと大嵌りするかと。
 因みにシリーズの一作めを読んで「さあ二作目!」と思ったら売ってなかったので何も考えずにえ〜と、四作目?か五作目?を読んでます。(邪道!)登場人物が突然がつーんと増えてますが全然大丈夫。読める読める。
 まあネタバレになる部分もあるのかもしれませんが私はそういうの気にしない人なんです。
 しかもこの作者一つ年上…!!!!???そんなに若いの!!!???うわあ正直かなりショックです。凹むっちうね〜ん。つうか、早生まれじゃなかったら同級生じゃないですか。ガッデーム。
 ああもう、うん、ちょっと頭冷やすわ…。

 そんなこんなで凹みつつでもやっぱり面白いし。畜生大好きだ!(屈折した愛情表現)
 無茶苦茶小説が書きたくなりました。ちゃんとした奴ね。長いの。白い棺も良いんですけど…、う〜〜〜〜ん、なんていうのかなあ、違うんですよ。
 アレは先ず第一に「作者ありき」で書いてる物凄く何処までも趣味一辺倒な気楽なものなんです。一所懸命書いてるんだけどどっちかと言うとやっぱ書きたいように書いてるって言うか。
 そうじゃなくて、もっとこう、時代考証とか色々頑張った「コレが全力だ馬鹿野郎!」みたいな、そういうものが書きたいのですよ。でもそれにはサイトの更新が枷になるなあ。
 何度も言うようですが、決して重荷ではないにしろ責任は感じてるんですよ。サイトがある以上、管理人という名称を持ち続ける以上、サイトを「位階続ける」義務があると思うので。
 何か事情があって「この日まで!」とスパッと止めるのと、「あ〜なんか忙しいし〜〜」とだらだら更新を休むのとでは意味が違うし。
 勿論考え方は色々有るでしょうけども。私はそうなんですよ。若しも小説に夢中になってサイトが疎かになるんだったら其の時は期限を決めて、「この日までは!」ってきちんと休止したいと思います。
 ちょっと考えては居ます。今の仕事は凄く楽しいし、人間関係も悪くないけど、(あくまで私の中で。他の人は知らん)やっぱり一生このままじゃ居られないって言うのは解ってます。
 転職先もぼんやりと探している状況ですし。そんで、「じゃあ何がしたいのさアンタ」って訊かれたら、其れはもう、掛け値なしに「クリエイティブな事がしたい」のですよ。会社の中で与えられる仕事をこなすためには、私には何かが足りない気がする。集中力とか、気配りとか。ミスも多いと思うし…。
 そしたら簡単にクビになっちゃうし。でも、何か、私だけにしか作れないものがあって、其れを商売に出来れば喰いッぱぐれは無いじゃないですか。(現実的な夢だね…)
 高校時代は「クリエイティブな仕事を目指すのが夢見がち」なんだと思っていたけど、今は「自分が生きていく為の武器になるものを探すのは現実に即してる」って思います。
 ただ、厭なジンクスもあって…。昔から私が何か「投稿しよう!」とか思って書き出すと絶対パソコンとかプリンターがやばいんですよね。壊れたり。
 今だって実はテキストエディタがメモ帳しか入ってないですし。フリーソフトで何か良いエディタがあったら何とか…。だってメモ帳とかだと印刷の次数合わせられないじゃないですか。あ、ワードパッドは勿論論外の方向で。っつうかワードパッドも細かい書式とかせっていできなかった…(どん底)
 ワード買うほどお金余ってないし…。5千円とか位なら出せますけど…。何かシェアウェアで探してみようかなあ。ダウンロード販売でも良いソフト山のようにありますモンね。ハア…。(探すのが面倒だなあと言う溜息)
posted by こがよしひさ at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月22日

コントロール

 突然何の話だ、と言われるかもしれませんが私はかなり見栄っ張りで格好付けです。
 オフで会ったことのある人にはひょっとして「どこが?」と言われるかもしれません。ええ、まあ、見た目の事は別に気にしませんよ、私は。気にしてたらきりが無いし。
 そうじゃなくて、私は、精神的な部分で物凄く見栄を張るのですよ。
 実際私はかなりビビリだし気分やだし家族や男性に対しては怒りの沸点も低いし(女性は別です)我侭で怠け者で自制心が無くて激情家なんです。
 特に激情家というのは自分の内面を良く表していると思う。激しいです、かなり。涙もろいし。自分でも気付かないうちに涙が出てる事もある。欝なんじゃ…、というツッコミはさておいて。
 でも先述の通り私は見栄っ張りなんです。冷めて世を拗ねている、と言うのが格好良いとは思いませんが、事あるごとに泣いたり怒ったりして我侭を言うよりはマシだとは思ってます。
 そんなわけでいつも必死で動じない自分を演じていたりするわけ。
 この日記で良く書くような数字で割り切った冷静な考え方や主義主張は勿論作り物なんかではなく、本当の気持ちであるわけですが、只其れも、やっぱり仮面の一つだとは思うんですよ。
 激情家で激しい本当の自分を制御する為に、怜悧なもう一個の自分を作ってるとか、そういうとイメージが伝わりやすいかな。いや、ペルソナとかそんなご大層な話ではなく、あくまでイメージの話で。
 でもまあ多重人格っぽい説明の方が解り易いのも確かですな。仮に理論の権化を冷静さんとしましょうか。
 泣きたくなった時やムカついた時や不機嫌になりそうなとき、私は何時も冷静さんを呼んで、自分の代わりに行動してもらったり、相談に乗ってもらったりするわけです。
 そうすると冷静さんはいつも私を「駄目な奴ねえあんたは」と言いつつ説教してくれるので、表面的には「動じてないっぽい」「機嫌が直ったっぽい」と言う事になります。あくまでぽいなのが…。
 ただ、近頃どうもこの、冷静さんの調子がおかしいです。何時もはもっと働き者なんですが最近は休んでばっかりです。
 呼んでも呼んでも無視される事もあります。単に私が疲れているって事なんでしょうがね。
 もっと自分をコントロール出来るようになりたい。些細な事で厭な気持ちになったりしたくないです。自分に関係ない事で不愉快になってたら身が持たない。マジで。
 将来的には冷静さんに全権を委任して激情家である所の私は消滅の方向へ進んで頂きたいと思っているんですよ。何十年かかるか解りませんけど。
 まあ例えば将来友人の葬式に出た時に平気な顔をしていたら「冷静さんになったんだなあ」とでも思っていただきたい。
 心の奥に激情家が残っていた所で外から見えなければ死んだのと同じですから。
 もっと、強くなりたいと言う事です。

 エッチサイトの方を頑張って更新したんですよ。土日いっぱい使ってブロック崩し2つアップと言うのはそれなりにサボっては居ない数字だと思うんです。
 ただサイトを幾つも持ってると管理人的に頑張ってても旗から見ててのんびり更新っぽい所が癪だよな。と、最近気付きました。そうだよな、片方しか見られなかったらもう一方で頑張ってても更新止まってるだけみたいだモンなあ…。
posted by こがよしひさ at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月20日

思考遊び。

 もうご存知の方ばっかりだと思うんですが私は思考遊びが大好きです。考えても一文の得にもならないような、ロジカルな言葉遊びに無上の喜びを感じます。
 駄洒落とかクイズとかも面白くはあるんですが、そうじゃん無くて、自分の脳細胞の能力を試すような、そんな遊びです。
 だから推理小説も好きです。
 しかし最近別の分野に目覚め始めました。機械関係とか学術論文とかです。
 これらの文字列はもうとことんまで論理を追求するものであって、あやふやな感情面の思考は省かれてしまいます。
 其れが厭、って人も居るでしょうし、其処が好き、って人も居るでしょう。私はぶっちぎりで大好きです。
 まあ勿論好きと出来る、好きと理解はまた個々の能力によるもので等号では結ばれないものでありますから私の理解力や判断力や能力や知識がそれらを楽しむ為に存分であるかと尋ねられると残念ながらNOとしか言えないのが悔しい所ではあります。
 しかしながら、下手の横好きという言葉も確かにこの世に存在するのですよ。私のは、ソレです。
 でも下手でも良いじゃんかよう、と開き直ってしまえばこっちのものですから。
 そんなわけで昔から大好きだった推理小説に加え最近ではタグ講座やタグ評論のサイトを巡っています。とにかく楽しい、面白い。
 きちんとした、明確な意図を持ってマークアップされたHTML文書は美しいものです。其処に整然とした意識を感じるから、凄くセクシーに見えます。
 ううん、セクシーという言葉は私にとって「ぞくぞくするほど魅力的」とか「興奮に値する美しさ」という意味なのですけど。
 だから、自分もセクシーなソースを打ちたいなあって思うんですよ。でも難しい。とても。
 まあ出来るようになりたいなあとか、嗚呼なりたいなあと思うだけでなれるならば世界中でコレほどまでにダイエット商品が得れる事は無かったでしょうね。
 不可能によってある一部の人たちは確実に利益を得ているわけです。世の中上手く出来てるね。
 其れはどうでも良くて。だから、必死で勉強中。CSSのマスターもセクシーの為には必要な事の一つです!最近あの独特の文字列も美しく感じるようになってまいりました。
 元々文字や文章が大好きな上に論理好きですから、ちょっと考えればこうなる事は予想できたはずなのですがでもいざそうなるとかなり奇妙な気分です。
 ううん、学生時代ああまで苦しめられ一時は本気で憎んだ事すらある(あながち誇張でもない)理数系の世界にこうまで引きずり込まれるとは。
 あ、でも私タグとかそっち系は本当は文型だと思ってます。ほら、C言語とか、「言語」って言うじゃないですか。タグやCSSの正しい書き方などというものは原稿用紙の使い方と同じで、単に知識なわけですよ。
 問題は其の知識なり技術なりを使ってどういうものをどういう風に作るか、です。そう考えるとプログラミングやサイト制作などはとっても芸術的。素晴らしい!
 四角いボディの中に一杯魅力を詰め込んだパソコンが、私は大好きです。
 凄くマニアな人の日記になってる…?と言ったものの、そっち方面の人に比べると知識も技術も赤子同然なんですけど。
 でもほら、すきとか美しいは感情だから!ピジョンブラッドとか言葉を知らなくても「綺麗だなー」って思うことは出来るわけで。私にとっては本当にそういうレベルなんですよ。

 其れはさて置き、週末の予定が潰れたので二日間たっぷりサイトにつぎ込めます。やった!タグが打ちまくれるぞ、と思っただけで楽しいですよ。うふふ。(展示物描けってば)
posted by こがよしひさ at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考嗜好志向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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